女子やり投げの新星・北口榛花 伸び盛り21歳、東京五輪メダルは「ミッション」

[ 2020年1月10日 06:30 ]

北口榛花「はるか かなた」(上)

日大のグラウンドでやりを持ってポーズを取る北口
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 東京五輪での活躍有望株として、一気に頭角を現してきた旭川市出身の道産子アスリートがいる。陸上女子やり投げの北口榛花(日大4年、旭川東出)だ。昨年、5月と10月に日本新記録を樹立。可能性を大きく広げた。歩んだ道のり、描く目標――。とびきり明るい新星が大いに語った。

 パティシエとして働く父には、お手製のクリスマスケーキを頼んであった。大好物は祖母が作る親子丼と茶わん蒸し。ラーメンやソフトクリームの店も行きつけがある。そして何より、気のおけない友人の存在。大学最後の冬休み、北口は旭川で今までにない長い時間を過ごした。十分に英気を養い、旅に出る。

 「1月末から2カ月間、チェコに行きます。しっかり五輪に向けてコーチと2人で準備したい。コーチも私が東京五輪に出てメダルを獲るということ、そのミッションに対して意欲的に一緒に取り組んでくれるので。私よりも?と思うぐらい気合が入っている」
 コーチはデービッド・セケラック氏という。66メートル00を投げて自身の日本記録を1メートル64更新した昨年10月27日の北九州カーニバルは、深夜のチェコで動画観戦してくれていた。

 「競技後、テレビ電話がかかってきて“66杯、祝杯を挙げるよ”と喜んでくれました。凄く情熱を注いでくれるのが分かる。海外、ましてアジアの選手をチェコで受け入れてくれることは、普通ではないと思うんです。ついていかないといけないと思うし、記録、結果で応えられたらいい」

 自己ベスト61メートル38で始まった昨季。5月6日の木南道孝記念(大阪)で64メートル36を投げ、海老原有希の日本記録63メートル80を破って一躍脚光を浴びた。これで出場権を得た世界選手権(カタール・ドーハ)で6センチ及ばず予選落ちすると、コーチから追加出場を課された北九州で世界選手権銀メダルに相当するビッグスロー。東京五輪のメダルを「ミッション」と考えるまでになった。

 「東京でオリンピックをやると決まったのが、陸上を始めた高校(旭川東)1年の時。日本ユースの3番が最高成績で、オリンピックって世界だし、大人もいるし…と思っていた。高3で世界ユースに出たあたりから世界で戦いたい気持ちが出て、(16年の)リオ五輪に挑戦した。駄目だったけど、東京までに自分が強くなって間に合えばいいなと思っていました。それが今どんどん現実味を帯びて、出るという目標だけじゃなくなっている」

 1シーズンで記録が5メートル近く伸びた。呂会会(中国)が昨季出したアジア記録67メートル98にも手が届くと思える。

 「66メートルを投げても改善点があるので、次の目標は68メートル。果てしなく遠い距離には感じなくて、できるんじゃないかなって思っています。夢まで言えば世界記録(バルボラ・シュポタコバ=チェコ=の72メートル28)。今は何でもできる気がします。でも、自信がなくなる時期があるんですよ。練習で53メートル…みたいなこともあるので。平均値を上げて、大事な試合で大きい記録を出せるようになりたいです」

 リオデジャネイロ五輪ではサラ・コラク(クロアチア)が66メートル18で金メダルを獲った。北口の爆発力に安定感が加われば、十分戦える。北海道出身者で過去、陸上の金メダリストは1932年ロサンゼルス大会男子三段跳びの南部忠平だけだ。

 「そんなに昔になるんですね。オリンピックのイメージといえば“チョー気持ちいい”。オリンピックで勝ってインタビューを受けたら全部が全部、流行語になるんだと、その頃は思っていました」

 3歳で水泳を始め、その流行語が飛び出した04年アテネ五輪は6歳の時。北口にとって五輪の“マイヒーロー”は北島康介だった。(続く)

 ◆北口 榛花(きたぐち・はるか)1998年(平10)3月16日生まれ、旭川市出身の21歳。3歳で水泳を始め、小1で始めたバドミントンでは6年時に団体戦で全国優勝。旭川東高で陸上やり投げに転向。3年時に日本陸連の東京五輪候補育成制度「ダイヤモンドアスリート」に認定され、世界ユース選手権金メダル、全国高校総体2連覇を果たした。16年に日大進学。昨年は2度の日本新記録を出し、世界選手権にも出場した。JALへの今春入社が内定。1メートル79、86キロ。

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