セーリング・吉田&吉岡、世界一の凸凹コンビが金字塔へ順風満帆

[ 2019年7月31日 10:00 ]

2020 THE PERSON キーパーソンに聞く

470女子・吉田愛(左)と吉岡美帆(撮影・吉田 剛)
Photo By スポニチ

 今年から本格的にスタートした東京五輪代表選考会の場で、日本セーリング連盟の関係者は口々にうれしい悲鳴を上げた。「想定を超える報道陣」「ここまで注目されるとは」。18年8月。デンマークで行われた470級の世界選手権で、史上初めて日本人セーラーが頂点に立った。これまで脚光を浴びることがなかったセーリングがメダル有力競技として認知された裏側には、間違いなく吉田と吉岡の存在がある。

 「私の高い要求にしっかりと応えて頑張ってくれる、理想のパートナーです」。3大会連続五輪出場のベテラン吉田がそう言い切るまで、紆余(うよ)曲折があった。出会いは12年12月、連盟主催の試乗会。当時大学4年生だった吉岡は競技をやめるつもりだったが、声を掛けられて参加した先に「憧れだった」吉田がいた。日本代表の中村健次コーチ(55)を介して連絡を取り合い、翌年2月、同じ船に乗ることになった。

 吉田には「若い選手を育てて、五輪へ理想のチームをつくりたい」という思いがあった。ペアを結成する前に吉田の自宅で5日間、寝食をともにして胸の内を明かした。五輪金メダルへの「並大抵のことではない」道のりを語り、「本当にやりたいのかしっかり考えて」とすぐに返答をもらわなかった。だが吉岡の答えは決まっていた。「私も愛さんのようになりたい。五輪を目指したい」。13年3月、2人はリオデジャネイロ五輪に向けてスタートを切った。

 学生時代に目立った成績を残していなかった吉岡が当初、痛感したのは「レベルの差」。要求されることを「受け身で言われるがままガムシャラに」こなしていた。年齢差に加えて性格も真逆で、吉田は「私は人にも自分にも厳しくズバッと言う。彼女は自分の思ったことを口にできず、どんどん無口になってしまった」と明かす。吉田の問いかけに吉岡が答えられず「ギクシャク」したこともあった。迎えたリオ五輪は初出場だった吉岡が初日に落水。ミスが連鎖し、最終レース進出も結果は5位に終わった。

 転機はリオ五輪後に訪れた。吉田が出産のため競技を離れることになり、吉岡は「自分が頑張らないとこのチームは上がらない。足りないものをこの1年間で学ぼう」と動きだした。大学卒業後は競技一本だったが、所属のベネッセで働き始めて「OL」を経験。さらに語学留学で単身フィリピンに渡り、1カ月間を過ごした。セーリングでは外国人の選手とペアを組み、指導を受けながらスペインとフランスを転戦。「今まで完成形だと思っていた技術や考え方を違う視点から学べた」。そこに引っ込み思案だった過去の自分はいなかった。

 そんな相方の挑戦を遠くから見守っていた吉田も、大きなヤマ場を乗り越えた。かねてリオ五輪で引退を考えていたが、13年に東京開催が決まり「子供を産んで目指そう」と決意。船に乗れない中でも体力維持に努めた。長男の琉良(るい)君を出産してからは、子育てと両立しながら1年間のブランクを埋める日々。「リオまでは焦っていた部分があったけど、東京までにレベルアップできれば良いという気持ちに変わった」。出産を経験して得た心の余裕が、競技にプラスになった。

 それぞれの変化の1年を経て、2人の間にあった「遠慮」や「壁みたいなもの」はなくなっていた。その中でつかんだ18年の世界一は足掛かりにすぎず、ともにその先の東京五輪だけを見ている。

 リオ五輪で「全くいつもの自分じゃなかった」という吉岡は、まだその悔しさを晴らせていない。「五輪会場が江の島に決まって、私が選手として出るしかないと思った」と明かす吉田にとっては、練習中に息子の面倒を見てくれる母親や藤沢市のボランティアへ恩返しの意味も持つ。

 吉田は「いろいろ試してきたことが形になって、ここに来て目標が金メダルと言える段階になった」と語る。昨年12月、96年アトランタ五輪の470級で銀メダルを獲得し、日本勢初メダリストとなった重由美子さんが53歳でこの世を去った。時を経てニッポンの470の系譜は引き継がれる。東京での24年ぶりのメダル、そして史上初の五輪金メダルへ。

 ▼五輪への道 日本は全10種目で1つずつ開催国枠を確保し、最大で15人が出場可能。特別推薦としてクラス別世界選手権で3位以内の日本人最上位選手(チーム)が代表に内定する。3位以下の場合は指定された各選考大会での成績を得点に換算し、合計得点から選出される。470級の選考大会は3月のプリンセスソフィア杯(パルマ)、世界選手権、9月のW杯江の島大会。世界選手権で8位以内に入ったチームにはボーナス得点が付与される。

【470級とは】470(ヨンナナマル)級は全長470センチの2人乗りヨットで、風から生まれる揚力で海面を滑走する。同時スタートで指定されたコースを周回し、着順を点数に置き換えて競う。適正体重は合計130キロ前後と小柄な日本人に最も適しており、日本勢が五輪で唯一メダルを獲得しているクラスだ。

 吉田が務める「スキッパー」は舵(かじ)取りとメインセールの操作が主な役割。風と波の微妙な変化を読み取って予測し、最適なコースを選んでレースを進める。技術だけでなく、状況判断の局面では経験が最も重要。競技全体でベテラン選手が多い理由の一つでもある。

 「クルー」の吉岡はジブセール(三角帆)とスピネーカー(追い風用の帆)を操り、身を乗り出して船のバランスを取る。他艇の位置関係といった情報をスキッパーに伝える役割も担い、2人のコンビネーションが勝負を左右する。

 試合会場の海に合わせた船や道具選びも調整の一環だ。トップチームはおおむね4艇の船、5~10本のマスト、6セットのセールを所持しており、その中から最適なセッティングを選択する。会場への輸送はコンテナでの船便に限られるため、ヨーロッパの大会などでは1カ月前の発送になることも。現地では空調が付いたコンテナを選手の待機場所にする国もある。

 ◆吉田 愛(よしだ・あい)1980年(昭55)11月5日生まれ、東京都出身の38歳。生まれは神奈川県。小学1年生からセーリングを始める。国立音大付高―日大。日大では全日本学生女子選手権で3連覇を達成。五輪は北京大会から3大会連続出場。1メートル61。

 ◆吉岡 美帆(よしおか・みほ)1990年(平2)8月27日生まれ、広島県出身の28歳。芦屋高(兵庫)―立命大。中学まではバレー部に所属。セーリングを始めた高校ではFJ級に乗っていた。好物のお菓子「トッポ」があだ名。1メートル77。

続きを表示

この記事のフォト

「渋野日向子」特集記事

「NBA」特集記事

2019年7月31日のニュース