56年の時を超え…被災地照らす希望の聖火 64年大会聖火ランナー・井街久美江さんが回顧

[ 2019年3月27日 09:30 ]

2020 THE TOPICS 話題の側面

トーチを掲げて、笑顔の井街さん
Photo By スポニチ

 2020年東京五輪の聖火リレーは1年後の3月26日に福島県楢葉町、広野町のサッカー施設「Jヴィレッジ」をスタートし、121日間かけ47都道府県を巡る。来年7月24日の開会式での最終点火者が誰になるかは気になるところだ。近年は開催国を代表する元アスリートが務めることが多いが、1964年の東京五輪では最終日の聖火リレーは8人の無名の若者に託された。最終ランナーを務めた坂井義則さん(当時早大1年、故人)につないだのは当時中学3年生の井街(旧姓・鈴木)久美江さん(69)だった。

 64年8月8日、東京・桐朋女子中3年生だった井街さんは大阪で開催されていた陸上の高校総体を観戦するため、兵庫県芦屋市の知人宅に滞在中だった。父・直利さんから電話が入った。聖火ランナーに決まったとの一報だった。「取材があるから早く帰ってこいと。訳が分かりませんでした。聖火リレーって何だろうって」。中学で陸上部に入部し「ゴム跳びの延長」で始めた走り高跳び。当時、中学生の全国大会はまだなかったが、2、3年と2年連続して全国放送陸上(全国の記録を集計してランキング作成)で1位だった。

 東京五輪の聖火リレー最終走者の候補には当初、陸上三段跳びの金メダリスト織田幹雄氏らの名前が挙がっていた。しかし、織田氏は「ぜひ戦後の人 に」と固辞。戦後生まれの関東の陸上選手が最終日のランナーの選考対象となり、中3から大1まで10人(補欠2人を含む)が選ばれた。

 任されたのは8人中7番目の区間。全員集合しての練習は3度あり、指導したのは後に瀬古利彦氏を育てた中村清さん。交通量の少ない朝5時半頃、コースを走ることもあった。女子最年少の井街さんは週刊誌の表紙を飾り、段ボール2箱のファンレターが届いた。

 10月10日。明治神宮外苑の絵画館前から国立競技場の千駄ケ谷門までの約400メートルを走った。沿道には日の丸の旗を振る大勢のファン。「無我夢中で、緊張することもなかった」。スタート前は色とりどりの民族衣装を着た各国の選手たちが競技場へ向かっていく様子を眺める余裕があった。

 実はスタート前に、付き添いの役員から頼まれたことがあった。「久美ちゃん、声を掛けてあげてね」。世界中の注目を集める最終走者の坂井さんの緊張をほぐすことだった。千駄ケ谷門の前では時間調整のため、少し待ち時間があった。硬い表情の最終ランナーに「坂井さん、大丈夫ですか?」と声を掛けると、「階段だけ気を付けて走るよ」と返ってきた。合図の祝砲が鳴って、聖火を引き継いだ。井街さんはトーチの火をドラム缶に突っ込んで消し、坂井さんの後を最終走者の補欠だった落合三泰さん(当時目黒高2年)と一緒に追った。坂井さんが国立競技場の階段を駆け上がり、聖火台に火をともすのを場内でしっかり見届けた。
 「声を掛けた時、坂井さんの顔が少しだけ緩みました。階段を踏み外さないで良かったと思いました」

 井街さんは東洋大4年の71年スポニチ全日本選抜で日本記録の1メートル73を跳んだ。72年ミュンヘン五輪出場を目指し、スポニチが立ち上げた陸上部で活動したが、大学4年の冬に左足首を痛めた影響で五輪には届かなかった。

 「当時の日本の女子高跳びはとても入賞できるレベルではなかったけれど、五輪に行きたいという思いはずっとありました。残念なのは、最終日の聖火ランナーは一人も五輪に行けなかったこと」

 64年の聖火リレーは原爆が投下された45年8月6日に広島県三次市で生まれた坂井さんが最終ランナーを務め、戦後復興や平和の象徴となった。そして、最終日を走った8人の若者には未来への希望のメッセージが込められていた。あれから56年。「復興五輪」を掲げる2020年大会は被災地の福島から聖火リレーがスタート。井街さんは多くの若者が聖火リレーに関わることを願っている。

 「復興へ向けて、少しでもいい方向に向かってほしい。そして、若い人に五輪に触れてもらいたい。多くの小中学生が“五輪選手になりたい”と言ってほしいなと思います」

 《「スポニチ陸上部」唯一の選手》井街さんはスポニチ陸上部のただ一人の選手だった。大学4年で卒業後の所属先を探した際、相談した陸上の先輩に紹介されたのがスポニチの役員。スポニチは陸上部を持っていなかったが、当時は大会を後援するなど陸上との縁は深く、井街さんが、72年4月にグループ会社「スポニチサービスセンター」に入社すると同時に部を立ち上げた。

 井街さんの仕事はボウリングやゴルフのイベント関係が多かった。「中山律子さんとボウリング場の始球式に行ったり、第1回(72年)のLPGAジャパンクラシック(現TOTOジャパンクラシック)にも関わりました」。ミュンヘン五輪を逃した井街さんは競技を引退し、1年8カ月で退社。その後、樋口久子のマネジャーを務めた時期もあった。「“聖火ランナーの…”とあいさつすると1回で名前を覚えてもらった。仕事をする上でも良かった」と笑って振り返る。スポニチ陸上部は井街さんの退社に伴い、廃部となっている。

 ◆井街(旧姓鈴木)久美江(いまち・くみえ)1949(昭24)5月2日生まれ、千葉市出身の69歳。桐朋女子中、高―東洋大卒。「背面跳び」が流行し始めた時代に「正面跳び」にこだわり、日本選手権では70年(1メートル69)、71年(1メートル71)と連覇した。27歳の時に陸上が縁で知り合った夫と結婚し、現在は京都市在住。1メートル64。

続きを表示

この記事のフォト

「大坂なおみ」特集記事

「羽生結弦」特集記事

2019年3月27日のニュース