なぜ走る? フルマラソンで感じること 考えること

[ 2019年2月21日 09:00 ]

北九州マラソンの完走メダル(AP)
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 【高柳昌弥のスポーツ・イン・USA】スタート地点ではNHKの大河ドラマ「いだてん」で主役の金栗四三役を務めている中村勘九郎さんと、スポーツ・ジャーナリストの増田明美さんが1万2224人のランナーたちを見送ってくれた。

 17日に行われた第6回北九州マラソンに参加。午前9時のスタート時の気温は4度と少々寒かったが、市民ランナーたちは「いだてん」から激励され、増田さんは「うちの主人も走っています。背中に増田明美の夫と書いてますよ〜」と笑いを誘って緊張感を和らげてくれた。

 その「増田明美の夫」と背中に書かれたランナーを3キロ地点で抜いたあと(ご挨拶もできなくてすみません)、今度は右手が麻痺して動いていない男性ランナーが目の前に現れた。どのような状態なのかはわからない。しかしマラソン時に手が振れないのはとてもつらいはずだ。それでも右手を体の前面に密着させていた彼は、少し体を左に傾けたフォームで黙々と前に突き進んでいた。

 そもそも子どもの頃から長距離が大の苦手だった私は今回、足首と股関節を痛めて走り込みというのがほとんどできなかった。だからタイムが悪くなっても言い訳ができる材料は山ほどあると思っていた。ところが目の前にいた1人の市民ランナーの姿を見て自分に問うてみた。

 「オレの抱える悩みと痛みってどれほどのもの?」

 未調整がたたって結局、私の予定ラップタイムは25キロでピリオドを打つ。そこから直面したのは痛みと関門海峡から吹いてくる海風、そして寒さ。正直、止めようと思った。痛みで悲鳴をあげた脚は動いてくれない。とうとう右手が動いていないあのランナーにも抜かれてしまった。

 「負けたくない。オレだってまだ行けるだろう」。歩いては走り、走っては歩く…。ラスト10キロはその繰り返し。棄権しない自分が不思議だった。たぶん還暦を迎えたこの老体を最後に動かしたのは私自身ではなく「彼」だったように思う。人間は時に、自分さえも知らない力を発揮するもの。タイムは自己ワーストだったが、沿道が人でいっぱいとなったラスト数百メートルは爽快だった。ゴール手前で思わず両手を挙げてしまった。多くの人がそれぞれに異なった達成感を抱きながらフィニッシュするのがフルマラソン。たぶんその価値は時間や順位では測れない。お恥ずかしい話だが、ちょっと目がうるんでいたのは事実で、何かと闘う姿勢を目の前で示してくれたそのランナーに心から感謝したい。

 2018年4月16日のボストン・マラソン。北九州マラソン以上に気温は低下し、しかも雨が降って強風が吹いた。その中を日本の川内優輝がトップでフィニッシュして世界を驚かせた。

 ただし優勝者が決まったあともドラマは延々と続いていた。

 メアリー・シャーテンリーブさんは42歳。フルマラソンは初挑戦だった。それなのに悪天候。気の毒なレースだった。彼女は25キロ地点でいったんレースを中断。唇が紫色になり、体の震えなど低体温症の兆候が出ていたために救護用テントで夫のリッチさんに電話して相談し、いったん休憩することにした。でもレースは棄権しなかった。

 交通を制限する時間は規定で6時間15分。これを過ぎると道路封鎖が解除されるのでランナーは公道の真ん中は走れない。しかし歩道などを行けば、大会役員が制止しない限りレースの続行は可能だ。そこが日本の大会とは少し違う。

 シャーテンリーブさんは着替えて暖を取ってドーナツを食べたあと、役員立ち合いの下でコースに戻ってレースを再開。そして懸命に残りの距離を走り続けて川内選手がトップでゴールテープを切ったフィニッシュ地点を通過した。

 「精神的な準備はできていたのだけれど、寒くて寒くて体がついてこなかった。でも途中であきらめるわけにはいかなかった」

 そのときボストンは17日午前零時18分。約13時間をかけてゴールしてリッチさんに抱きしめられたとき、日付はひとつ新しくなっていた。

 多くのメディアが彼女の「奮走」を伝えている。なぜなら2人の子どもの母親でもあるシャーテンリーブさんは2013年に白血病の治療を始めた患者であり、化学療法と骨髄移植を受けてスタートラインに立った女性だからだ。

 彼女は治療を受けた病院にまだ同じ病気と闘っている患者が多数いることを知っていた。そして自分がボストン・マラソンという大舞台に立つことで支援を訴えた。

 治療を受けた病院に「がん研究資金」を寄付するための基金、3万5000ドル(約389万円)を調達しようとして参加したのがボストン・マラソン。「あきらめるわけにはいかなかった」。その揺るぐことのない強い信念には最大級の敬意を表したい。

 ゆっくり走れば42キロくらい行けるだろうと思っている方へ一言。北九州マラソンのようにほとんどのランナーがペースダウンする30キロ以降に関門海峡から吹き付ける北風を体の正面で受けると、低体温症の引き金になります。走る強度が弱いゆえに体が温まらないからです。汗冷えもしんどいです。ゆっくり走るだけではフィニッシュに近づけないケースも多数あります。

 では歩く?ならば時速7キロ以上で6時間以上歩く練習をしてください。どれほどの運動量なのかは足の裏とふくらはぎが教えてくれるでしょう。マラソンに「近道」は存在しません。

 そんな苦労と努力はしたくない?ならばあなたの思うように生きてください。確かにフルマラソンはつらいです。健康にいい、とも言い切れません。それも人生の選択です。ただ「自分が知らない自分」に出会えるチャンスは失ってしまいますが…。

 1人でレースに出るのはさびしいと思っている方へも一言。

 大丈夫。みんな何かを語り合いたい人たちばかりです。なぜならレース前もレース中も心の中は「信頼を置けない自分ばかり」で「信頼できそうな人の意見」を数限りなく求めています。今回、密集したスタート地点で私の前後4人が、私の履いていた“低速系厚底シューズ”とたまたま同じでしたが、さっそくお隣さんが「そうですよね。この靴ですよね。やっぱ…」と語りかけてきました。「ですよね〜」と答えると笑い声とともに、たちまち5人の即席チームが誕生。私自身が信頼の置けるランナーとはとても思えませんが、参加者全員があなたの「チームメート」だと思ってください。

 最後に病気と闘っている人へ一言。54歳からフルマラソンを始めた私のレース歴は6回しかありませんが、私の周囲にはシャーテンリーブさんのような「がんサバイバー」が何人も走っていました。それを原稿にしたこともあります。「お前にはできない、と言われると必ずそれができるようになるまで努力する選手」。米国のスポーツ界で一目置かれる選手にはこんなタイプもいます。それはスポーツだけでなく人間社会に共通する「いなくてはいけない人材」でしょう。だからどんなことでもいいから“光”を探してください。

 還暦で完走したと喜んでいたら「私は古希(70歳)で完走しましたよ」と大学の先輩に言われました。そう、まだ若輩者ですので、もうちょっと気合を入れて出直します。フィニッシュはスタートの始まり。さて、どこかでまた「増田明美の夫」を追い抜かなければ…。(なのでご主人どの、まだまだ頑張ってくださいね)

 ◆高柳 昌弥(たかやなぎ・まさや)1958年、北九州市出身。上智大卒。ゴルフ、プロ野球、五輪、NFL、NBAなどを担当。NFLスーパーボウルや、マイケル・ジョーダン全盛時のNBAファイナルなどを取材。50歳以上のシニア・バスケの全国大会には8年連続で出場。フルマラソンの自己ベストは4時間16分。今年の北九州マラソンは4時間47分で完走。

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