NFLのベアーズが見せた大人の対応 敗れてなおこだわったもの

[ 2019年1月10日 08:30 ]

イーグルスとのプレーオフ1回戦で最後にFGを失敗したベアーズのパーキー(AP)
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 【高柳昌弥のスポーツ・イン・USA】NFLのベアーズは8季ぶりにプレーオフに進出していたが、6日に地元シカゴのソルジャー・フィールドで行われたナショナル・カンファレンス(NFC)の1回戦で、昨季のスーパーボウルを制したイーグルスに敗れた。

 スコアは15―16。上位シードだったこともあって勝機は十分にあった試合だった。第4Qの残り56秒で逆転されたとはいえ、限られた時間の中で前進を図り、残り10秒でフィールドゴール(FG)を狙う場面になっていた。距離は43ヤード。NFLのキッカーであれば、さほど難易度の高い距離ではない。しかもキッカーのコーディー・パーキー(26)はこの試合ですでに3つのFGを決めていた。

 6万2000人の地元ファンが見守る中でのパーキーのキックは成功。3点が追加されてベアーズが勝った…はずだった。

 ところがスナップ直前にイーグルスは残っていた最後のタイムアウトを行使。大詰めで勝負を決するFGを当該チームが狙う場合、相手チームはこの方法を使ってキッカーにプレッシャーを与えるのだが、イーグルスも通称“アイシング”と呼ばれる妨害工作に出ていた。

 プレーは無効。しかしスナッパーや、ボールをキャッチしてフィールドに固定するホールダーはいったんプレーが始まれば動きは止めない。それはキッカーも同じ。対戦相手がタイムアウトをコールするのは百も承知だったはずだが、だからと言って一連の流れをストップするわけにはいかなかった。

 パーキーは土壇場で2度目のFGと直面することになった。しかし今度は蹴ったボールが左のクロスバーを直撃。ボールは手前に跳ね返り、ベアーズの3点は幻となって?敗れ去った。その瞬間、パーキーは肩を落とし、フィールドでしばらく動けなくなった。

 その後、この2度目のキックはイーグルスの選手の指先に当たっていたことが判明。完全に「蹴りそこなった」わけではなかったが、パーキーは「自分のせいでチームが負けてしまった。最低の気分だ」と敗戦の責任を1人で負うようなコメントを口にした。

 勝利を期待していたファンからはブーイングを浴びた。ドルフィンズから移籍して4年1500万ドル(約16億4000万円)というキッカーとしては高額の契約を締結しながら、今季はリーグで2番目に多い7本のFGを失敗。だからソーシャルネットワークでも「契約に見合わない成績と結末」として叩かれた。

 ではベアーズのチームメートはこのまさかの幕切れに対してどう対応したのか?この敗北によって12シーズンぶりとなるスーパーボウル進出への可能性を絶たれたのだからショックがないと言えばウソになる。しかし彼らはパーキーを非難したり、疎外感を味合わせるようなことはしなかった。

 キックが外れたあと、オフェンス・ガードのカイル・ロング(30)は崩れそうになっていたパーキーの体を支えた。そして「お前はチームの全得点(15点)のうち半分以上(9点)を1人で稼いだんだ。恥じることはない」という言葉を投げかけている。オフにレイダースから移籍してきたラインバッカー、ハリル・マック(27)も「顔を上げろよ。お前はオレの友だちじゃないか」とパーキーの肩をたたき、頭を抱えていた傷心のキッカーを支えた。

 「全員がこんな自分に気を使ってくれた」とパーキー。負けて悔しいのはファン以上に選手の方だったはずだが、この日のベアーズは“敗者としての誇り”をスタジアムを後にしても捨ててはいなかった。

 今季から指揮を執っているマット・ナギー監督(40)も「ロッカールームで選手が見せた気配りは、きっと次につながるはずだ」と敗北の中から何かをつかんだ様子。大リーグやNBAなどではベンチで仲間割れする場面が何度か見受けられたが、NFLのベアーズが見せた大人の対応はとても印象的だった。

 1986年1月26日。私が書いた最初のスーパーボウルの原稿は、この日にペイトリオッツを46―10で下して初優勝を遂げたベアーズについてだった。当時のベアーズにはディフェンスのタックルながら、152キロの巨体を生かして相手ゴールラインの手前ではランニングバック(RB)として起用されていたウィリアム・ペリー(愛称はリフリジレーター=冷蔵庫)、当時の歴代最多ラッシング記録を樹立したリーグ屈指のRBウォルター・ペイトン、米国がボイコットした1980年のモスクワ五輪の陸上男子110メートル障害で米国の代表でもあったワイドレシーバーのウィリー・ゴールト、そして口が達者で人気者だったクオーターバックのジム・マクマーンなど個性的なスターがズラリとそろっていた。

 その当時と比べると随分とチームカラーは変わった。それでもシーズン最後の試合でグサリと胸を突き刺すような場面に遭遇。敗者の中にあった小さなドラマは、スポーツの世界としてだけでなく、人間社会の中でも考えさせられる題材になったと思う。

 ◆高柳 昌弥(たかやなぎ・まさや)1958年、北九州市出身。上智大卒。ゴルフ、プロ野球、五輪、NFL、NBAなどを担当。NFLスーパーボウルや、マイケル・ジョーダン全盛時のNBAファイナルなどを取材。50歳以上のシニア・バスケの全国大会には8年連続で出場。昨年の東京マラソンは4時間39分で完走。

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