NBAデビューを果たした渡辺雄太が掘り起こす「日本」の記憶 先人たちがつないできたNBAの歴史

[ 2018年10月30日 11:24 ]

NBAデビューを果たしたグリズリーズの渡辺雄太(AP)
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 【高柳昌弥のスポーツ・イン・USA】田臥勇太(38=現Bリーグ栃木)がサンズでNBAデビューを果たしたのは、彼が24歳だった2004年11月3日。ホークス戦に10分出場した彼は3点シュートを1本成功し、フリースローを4本とも決めて7得点をマークした。日本スポーツ界にとっては歴史的な1日。記事にした日の夜は興奮して寝られなかった記憶がある。

 NBAがまだBAAと呼ばれていた1947年、日系2世のワット・ミサカ氏(三阪亙)がニューヨークを本拠にしているニックスの一員として3試合に出場。日本に縁がある選手が世界最高峰のリーグの扉をこじ開け、白人ではない選手が初めてプレーしたのもこの時が初めてだった。日系人といってもユタ大出身。1メートル70のガードだった同氏はドラフトされてのBAA入りで、取り巻く環境は田臥とは違っていた。

 カンザス大出身で1993年のドラフト1巡目(全体16番目)にネッツに指名されたレックス・ウォルターズ氏(48)はNBAでは76ers、ヒートなどを含めて7季プレーした。その後はコーチに転身。昨季はピストンズのアシスタントコーチを務めていた。「外見からはその思われないかもしれないが、自分は日系米国人だ」と本人が語っていたように、彼の母親は日本人。1メートル93のガードで、76ers時代には当時のスーパースターだったアレン・アイバーソンの控えを務めていた。

 渡辺雄太(24)が10月27日にグリズリーズの一員としてコートに登場したとき、埋もれかけていた歴史が掘り起こされたような気がした。

 彼は確かに田臥に次ぐ「日本人としては史上2人目のNBA選手」であることに間違いはないが、日本という国がこのリーグの中で2つの“点”だけで存在してわけではない。複数存在していたバスケットボールのプロリーグがBAAに集約され、1949年にNBAという名前に変わっていく中、随所で点と点がつながって現在に至っている。

 12月21日に95歳となるミサカ氏の目に今、渡辺雄太(24=グリズリーズ)の姿はどう映っているだろうか?ユタ大時代にNCAAトーナメント(全米大学選手権)で優勝。その一方で、「日本」という国が彼には重くのしかかった。優勝して故郷のユタ州オグデンに凱旋したときに届いたのは召集令状。陸軍情報部で従軍した彼は終戦後、フィリピンのルソン島捕虜収容所で日本兵の尋問任務をこなした。その後両親の故郷でもある広島で原爆投下後の現地調査を行っているが、当時米国と日本の二重国籍を有していた同氏の心中は複雑だったはずだ。

 ニックスでの出場が3試合で終わった理由については2つの説がある。ひとつはガードの選手が多すぎたことで余剰人員となったため。そしてもうひとつはまだ戦時色が濃かった時代ゆえに、監督が日系人を敵視していたという説。もし本当の理由が後者ならば、「日本」という国の存在がNBAの歴史をネガティブな方向に書き換えたことになる。

 それから71年。ジョージ・ワシントン大に留学して学業もスポーツも両立させてNBAにやってきた渡辺は“先輩”とは違った道を歩もうとしている。なにしろ2メートル6のフォワード。田臥やウォルタース、ミサカ両氏がそろってガードだったことを考えると隔世の感がある。

 NBAでの通算得点は田臥とミサカ氏が計7点で、通算335試合に出場したウォルターズ氏は1547点。渡辺が書き加える記録はまだたくさん残っているだけにこれからの飛躍に期待したい。

 1891年。ミサカ氏の誕生日でもある12月21日にマサチューセッツ州スプリングフィールドで誕生したのがバスケットボールだった。YMCAの体育教官でカナダ人のジェームズ・ネイスミス氏が発案。体育館に桃の収穫用の籠を高さ10フィート(3メートル5)の位置に設置し、18人の学生が“未来のメジャースポーツ”に取り組んだ。そのうちの1人は日本人留学生の石川源三郎。バスケットボールは競技誕生の日時と場所を正確にたどれる珍しいスポーツだが、歴史の“原点”から日本はここに足跡を残していた。

 「田臥がNBAデビュー」という記事を書いてから5106日が経過。正直言って長かった。記者生活の中でNBAでプレーする日本選手の原稿を書くことは二度とない、と思っていた時期もあった。そして今、新たな時代を迎えようとしている。サンズとのデビュー戦で渡辺は2得点と2リバウンドをマーク。ただ私には数字など目に入ってこなかった。正直言って原稿を書きながら目が潤んだ。この高揚感は最近、味わったことがなかった。

 競技発祥から127年目。2017年10月27日は、NBAに点在していた“日本”と“JAPAN”が全部つながった1日だった。

 ◆高柳 昌弥(たかやなぎ・まさや)1958年、北九州市出身。上智大卒。ゴルフ、プロ野球、五輪、NFL、NBAなどを担当。NFLスーパーボウルや、マイケル・ジョーダン全盛時のNBAファイナルなどを取材。50歳以上のシニア・バスケの全国大会には8年連続で出場。今年の東京マラソンは4時間39分で完走。

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