カー娘、歴史変えた!史上初銅メダル 英国ミスショットで劇勝

[ 2018年2月25日 05:30 ]

平昌冬季五輪 カーリング女子3位決定戦   日本5-3英国 ( 2018年2月24日 )

<平昌冬季五輪・カーリング3位決定戦 日本×英国>第1エンド、ストーンを投げる藤沢五月(右)
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 初の表彰台に、みんなが泣いた。女子3位決定戦で、世界ランク6位の日本(LS北見)が、同4位で14年ソチ五輪銅メダルの英国を5―3で下して銅メダルを獲得。3―3で迎えた第9エンドに不利な先攻で1点スチールすると、第10エンドにも1点スチールした。日本勢の表彰台は、男女通じて初めての快挙となった。

 メダルを決めた実感なんてない。なぜなら、負けたと思っていたから。5―4の最終第10エンド、英国スキップ、ミュアヘッドがラストショットをミス。スキップの藤沢は「ちょっと信じられない。ホントに勝ったんだって気持ちで」と運命の瞬間を振り返る。苦楽をともにしてきたチームメートと抱き合い、歓喜の涙を流した。98年長野五輪から6大会目、ついに表彰台へ駆け上がった。

 「今までの先輩たちの経験が私たちのカーリングに生かされている。日本のレベルが上がっていることを先輩や、応援してくれている人に見せられた」

 5歳でカーリングを始めた藤沢は小さな頃、旧常呂町の練習場で98年長野五輪に出場した敦賀信人らオリンピアンの姿を見た。「五輪が身近すぎて、大人になったら行けるものだと」。天才スキップとしてジュニア時代から名をはせたが、中部電力のメンバーとして出場を目指した14年ソチ五輪は、代表決定戦で北海道銀行に敗れて号泣。夢舞台は遠く、まだ実力が足りないと実感させられた。

 同じくソチ出場がかなわなかった本橋と、ソチ後に食事にでかけた。悔しさを忘れられず明るい未来を描けない藤沢に、本橋は「私はもう、次に進んでいるよ」と声をかけた。「私はこんなに引きずっているのに。カーリングに対する考え方を変えないといけない」。一からやり直したくて、15年5月にLS北見に加入した。

 夢舞台で夢のような進撃。今大会前、藤沢はフォームを変えた。これまではストーンに力を伝えるために左足のかかとを浮かして投げていたが、平昌ではかかとを氷につけ、コントロール重視で臨んだ。少し力が弱くても、吉田夕、鈴木のスイーパーが、吉田知が指示する場所へストーンを運んでくれる。「ホントにみんなに感謝」。信頼のショットを放ち続けた。

 10年8月にチームを創設した本橋は言う。「一人一人が個性を殺さずにアイスに乗れている。5つのカラーで彩れるようになってきた」。誰一人欠けても、ここまで来られなかった。重なる5つの輪がシンボルの五輪。5人の思いが重なった先に、最高のフィナーレが待っていた。

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