智香 5度目五輪は5位入賞、メダルならずも「4年間に満足」

[ 2018年2月25日 05:30 ]

平昌冬季五輪 スノーボード女子パラレル大回転 ( 2018年2月24日 )

<平昌冬季五輪・スノーボード女子パラレル大回転決勝>競技を終え、スタンドの声援に笑顔で応える竹内智香
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 パラレル大回転の女子で、ソチ五輪銀メダルの竹内智香(34=広島ガス)は5位に終わり、2大会連続のメダル獲得はならなかった。予選を6位で通過して、上位16人による1対1の決勝トーナメントでは準々決勝でセリナ・イエルク(30=ドイツ)に敗れた。五輪史上初めてアルペンスキーとスノーボードに出場したエステル・レデツカ(22=チェコ)がアルペン・スーパー大回転との“二刀流金メダル”を達成。男子の斯波正樹(31=RIZAP)は予選で敗退した。

 思い描いた最高の結果は得られなかった。準々決勝、2つ目の斜面に入るところでラインを外し、同走の相手の背中が一気に遠のいた。0秒62差をつけられて完敗。それでもゴールした竹内はさっぱりとした笑顔だった。「金メダルを獲れたら一番だけど、4年間やってきたことには満足している。やり切れたという意味では100点満点」

 この4年間は思い通りにいかないことばかりだった。ソチ五輪で銀メダルを獲得したものの「1年たったらいろんな人に忘れられている」とその影響力は限定的だった。だからこそ平昌では大回転と回転で2つの金メダルを獲ろう。そう決意したら回転が五輪種目から外された。

 16年3月には左膝前十字じん帯を断裂し、再建手術を受けた。同様のケガを負ったアスリートも周りにいたが「話を聞くとそのレールに乗ってしまうから」とあえて参考にしなかった。06年トリノ五輪後には成長を求めてスイス代表に押しかけ入門した行動力。思い立ったら自分で道を切り開く竹内らしいやり方で、医師の見立てより早く5カ月半で雪上に戻った。

 同年末には転倒して脳振とうを起こし「膝よりもだいぶきつかった」と後遺症にも悩まされた。さらに他選手の不祥事による連帯責任でナショナルチームが活動停止に。思うに任せないことが続いた。今季も原因不明のアレルギー症状に加え、腰痛も発症してスランプと呼べるほど滑りの感覚を失った。

 「五輪が好きで五輪に合わせられるタイプ。必ず五輪に間に合うと言い続けて過ごしてきた」。直前の国内合宿で体調が戻ると、ようやく滑りにも迫力が戻ってきた。メダルはならなかったが五輪で今季最高成績の5位。「4年後はなかなか想像がつかないが、五輪はできるなら一生出ていたい。それぐらい好きな場所」。その思いが次の竹内の原動力になる。

 【竹内の過去五輪4大会】

 ▽02年ソルトレークシティー(22位) パラレル大回転が五輪種目に新採用。高校3年で五輪初出場も、緊張からスタート直後の第1、2旗門でバランスを崩し43秒76で予選落ち。「悔しい。精神面、技術、体力とも足りていないのにいい結果が出るわけがない。4年後に向けて一からやり直します」とうなだれた。

 ▽06年トリノ(9位) 予選を9位で通過して迎えた決勝トーナメント1回戦。ギュンター(オーストリア)との対戦は1回目は0秒1差で、逆転を狙った2回目も不発。「本当に悔しい。次(バンクーバー)は確実に勝てる状態にして臨みたい」と涙を流した。

 ▽10年バンクーバー(13位) 豪雨でコースが荒れる中、予選を10位で通過。決勝トーナメント1回戦でリーグラー(オーストリア)と対戦も完敗。目に涙をため「悔しい。どうやったら世界と戦えるか、ここで結果を残して(日本に)伝えたかった」と声を詰まらせた。

 ▽14年ソチ(銀メダル) 予選を1位で通過した。決勝トーナメントを順当に勝ち上がり、決勝では世界ランク1位のクンマー(スイス)に敗れたが銀メダルを獲得。スノーボード競技で日本人女性初の五輪メダリストとなった。

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2018年2月25日のニュース