ミュンヘン五輪金の主将 中村祐造氏が死去

[ 2010年7月26日 21:04 ]

死去した中村祐造氏

 金メダルを獲得した1972年のミュンヘン五輪男子バレーボール日本代表の主将で、男子日本代表の監督も務めた中村祐造(なかむら・ゆうぞう)氏が20日、視床出血のため死去した。68歳。兵庫県姫路市出身。葬儀・告別式は既に近親者だけで執り行われた。

 姫路工大付高(現姫路工高)から61年に八幡製鉄(現新日鉄)に入社。闘志を前面に出すプレーを持ち味に、64年東京五輪で銅メダル獲得に貢献。ミュンヘン五輪では準決勝、ブルガリア戦で2セットを先取される劣勢の中で起用され、チームを逆転勝利に導いた。
 新日鉄では選手兼監督として70年代の黄金期を支え、厳しい指導で数々の選手を育て上げた。77年に現役を引退。77~79年には男子日本代表の監督。その後も日本バレーボール協会の理事などを歴任した。

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2010年7月26日のニュース