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【森保Jの26人】町野修斗 亡き恩師にゴール届ける“下剋上”の点取り屋

[ 2022年11月16日 04:30 ]

町野修斗
Photo By スポニチ

 負傷のDF中山雄太(ハダースフィールド)に代わって“27人目”に滑り込んだFW町野は、履正社高に入るまでボランチの選手だった。だが、中3で同校に練習参加した際、平野直樹監督(57)は点取り屋としての可能性を感じた。「身長があってボールコントロールも良く、右も左も蹴れる。走れるし、センターFWとして育てたいなと」。入学後に最前線へコンバート。そこには、指揮官のこだわりがあった。

 「ストライカーには才能が必要で、原石を見つけたら、まずはFWをやらせたい。後ろのポジションに下げるのはいつでもできるから」。2学年上にFW林大地(シントトロイデン)らがいながらも、夏ごろからはAチームに定着。「才能」に磨きをかけていった。

 高1が終わりに近づいていた16年1月、悲しい出来事が起きる。中学時代に在籍したFCアヴェニーダソルで指導を受けた、かつて鳥栖などでプレーした関本恒一さんが平滑筋肉腫により37歳で亡くなった。闘病していることは知っていたが、夏の全国高校総体ではメンバー外にもかかわらず応援に来てくれた。厳しく、愛情を持って接してくれた恩師の死。告別式に参列した時、平野監督は町野に「サッカーで頑張って、恩返しするしかないな」と語りかけた。

 「性格面での幼さもあったんだけど、あの頃からかな。気持ちにスイッチが入ったのかもしれない」(平野監督)。プロ入り後も順風満帆ではなかったものの、J3からW杯にたどり着いた。多くの指導者に支えられてきた23歳が、日本のためにゴールを奪いにいく。

 ◇町野 修斗(まちの・しゅうと)1999年(平11)9月30日生まれ、三重県伊賀市出身の23歳。3歳でサッカーを始める。履正社高―横浜―北九州―湘南。7月のE―1選手権でA代表デビューし、国際Aマッチ4試合3得点。ゴール後の「忍者ポーズ」が人気。1メートル85、77キロ。

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2022年11月16日のニュース