×

ハリルホジッチ監督をどうするのか そろそろ結論を

[ 2016年11月5日 10:05 ]

4日、W杯アジア最終予選サウジアラビア戦に臨む日本代表を発表したハリルホジッチ監督

 【大西純一の真相・深層】日本のサッカー史上に残る大きな事件が起きたのは1997年10月4日だった。W杯フランス大会アジア最終予選第4戦、アウェーでカザフスタンと対戦した日本はロスタイムで追いつかれて1―1で引き分けた。1勝2分け1敗、日本は5カ国中3位だった。アジアの出場枠は3・5で、AB各組1位に出場権が与えられ、2位同士がプレーオフを戦い勝てば出場権、負ければオセアニアと大陸間プレーオフだった。苦境に立った日本代表は加茂周監督を更迭し、岡田武史コーチが後任監督に就任。2002年W杯の日韓共同開催が決まった翌年で、日本中が「何とかフランスへ」と盛り上がっていた中で、衝撃的な出来事だった。結果的にフランス大会出場を果たしたが、敗退していたらどうなっていたか。当時の長沼健会長も「おれが責任を取る」と、腹をくくって対処していた。

 今回のW杯最終予選で日本代表はここまで2勝1分け1敗、現在3位で厳しい戦いが続いている。初戦でUAEに負け、第2戦でタイに、第3戦もイラクに勝ったが内容はいまひとつ。アウェーでオーストラリアと引き分けた第4戦は、守備的に戦い、終盤でMF原口に代えてDF丸山を入れて“守備固め”をした采配は議論を呼んだ。監督の采配通りに引き分けたが、試合後選手が「勝てた試合だった」と口をそろえ、選手と監督の手応えに“溝”があったことをうかがえた。

 ハリルホジッチ監督が就任したのは昨年3月。アギーレ前監督が八百長に関与した疑惑が浮上する中、1月のアジアカップで準々決勝敗退に終わり、解任された。何人かの候補に断られた末に就任したのが14年W杯ブラジル大会でアルジェリアを率いた同監督だった。世界各国の代表チーム監督は、4年に一度のワールドカップが節目。W杯で契約が切れ、他国からオファーを受けたり、クラブチームと契約する。欧州の強豪チームの監督も5月のシーズン終了のタイミングで動く。交渉はもっと早く水面下で行われるのだろうが、W杯翌年の1~2月に日本代表を任せる監督を探すのは簡単ではない。その状況で就任したハリルホジッチ監督の使命はただひとつ「W杯予選の突破」だった。

 既に4試合を消化し、11月15日のサウジアラビア戦が折り返し点。「もう1試合、様子を見よう」と言っているうちに予選は終わってしまう。采配は専門家が分析すれば、4試合でも十分に結論は出せる。監督を交代させるリスクは大きいが、W杯ロシア大会に出場できなければ日本が失うものはもっと大きい。加茂監督が更迭されたのも8試合中4試合が終わった時。ハリルホジッチ監督で最後まで行くのか、交代させるのかを決めるなら、タイミング的にはラストチャンスではないか。

 日本のサッカーが成長したところを見せるためにも、日本サッカー協会の“マネジメント力”で危機を切り抜けてほしいものだ。(専門委員)

 ◆大西 純一(おおにし・じゅんいち)1957年、東京都生まれ。中学1年からサッカーを始める。81年にスポニチに入社し、サッカー担当、プロ野球担当を経て、91年から再びサッカー担当。Jリーグ開幕、ドーハの悲劇、ジョホールバルの歓喜、W杯フランス大会、バルセロナ五輪などを取材。

続きを表示

2016年11月5日のニュース