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イニエスタ弾で悲願V!スペイン美しく頂点に

[ 2010年7月13日 06:00 ]

<オランダ・スペイン>イニエスタはユニホームを脱ぎ捨て、ハルケさんへのメッセージが書かれたシャツで歓喜

 無敵艦隊が悲願のW杯初制覇を果たした。ヨハネスブルクのサッカー・シティー・スタジアムで11日に決勝が行われ、スペインが延長の末にオランダを1―0で破り初優勝。延長後半11分にMFアンドレス・イニエスタ(26=バルセロナ)が決勝ゴールを決めた。好選手をそろえながら勝てなかった過去と決別して史上8チーム目のW杯王者に就き、6月11日に開幕したサッカーの祭典が幕を閉じた。

 歓喜の優勝セレモニーを控え、イレブンがユニホームを着替えた。決勝戦で着用した濃紺のセカンドから赤と黄色のファーストへ。左胸のエンブレムの上には、W杯制覇を示す星が1つ縫いつけられている。悲願の世界一。08年欧州選手権に続く主要タイトル連覇で、スペインが「無敵艦隊」の呼び名にふさわしい地位と栄誉を手に入れた。
 「自分が優勝を決めるゴールを挙げたなんて信じられない。われわれが何を成し遂げたのかさえも分からない」とMFイニエスタは振り返った。
 その瞬間は、延長後半11分に巡ってきた。マークされていた相手選手がクロスの処理でバランスを崩すと、ゴール右前でフリーになってMFセスク・ファブレガスからパスを引き出す。右足でトラップし、バウンドしたボールに右足を強振。ゴール左を打ち抜く優勝決定弾となった。
 「トータル・フットボール」を完成させ、74年W杯準優勝のオランダ代表FWクライフが選手、監督として礎を築いたバルセロナ所属。1メートル70と小柄でスター性にも欠けるが存在感と人気はメッシにも劣らない。ウイングからボランチまで複数のポジションをこなし、クラブのグアルディオラ監督も「バルサを象徴する存在」と認める。
 この日は激しいオランダの守備に手を焼き、受けたファウルはチーム最多の8。正確性が自慢のパスも成功率59%と今大会自己最低の数字だったが、それでも勝負どころで力を見せた。PK戦突入の予感が漂い始めた延長終了4分前、この日唯一放ったシュートで決勝点。スペインで永遠に語り継がれる一撃だった。
 ネットを揺らすと、警告覚悟でユニホームを脱ぎ、走りだした。下のシャツに「ダニ・ハルケは永遠にわれらとともに」の文字。昨年8月に心臓発作で急死した、エスパニョール主将だった友人にゴールをささげ「敬意を示す最高の舞台と思った」と感慨にふけった。
 さまざまな思いが込められた優勝。13回目の出場で成し遂げた偉業はスペインを1つにした。バルセロナがあるカタルーニャ州、さらにバスク州などは独自の言語や文化を持ち、独立志向が強くマドリードの中央政府と距離を置いてきた。08年欧州選手権優勝の際にはバルセロナのMFシャビが「スペイン万歳」と叫び、地元で批判されたこともある。一体感をはぐくみにくい環境が勝負弱さの要因と言われてきたが、ユース年代から実績を重ねてきたチームの快進撃で、民族間の壁を越えて国民が団結。バルセロナでは代表戦のパブリック・ビューイングが決勝で初めて行われ「スペインは代表のように1つにならなければ」と訴えたサパテロ首相の願いをかなえるかのように多数のスペイン国旗が翻った。
 アフリカ大陸で初のW杯。多民族融合で「虹の国」と呼ばれる南アフリカで、1つになったスペインが頂点に立った。

 ◆アンドレス・イニエスタ 1984年5月11日、スペイン・アルバセテ生まれの26歳。12歳でバルセロナの下部組織入りし、02~03年シーズンにトップデビュー。06年5月27日のロシア戦で代表デビューし、国際Aマッチ通算49試合8得点。1メートル70、65キロ。

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2010年7月13日のニュース