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浅見師「馬イチ」貫いた調教師人生 こだわりの裏でスタッフに思いやり

[ 2022年2月25日 05:30 ]

浅見秀一調教師(撮影・亀井 直樹)
Photo By スポニチ

 西の定年引退は浅見秀一師(70)のみ。昭和の香りを残したホースマンが栗東に別れを告げる。

 関西で定年を迎えるのは浅見師のみ。父の浅見国一厩舎から2代続いた名門の灯が消える。「長かったような、短かったような…。やり尽くしたのか、もっとやれたのかも自分では分からんよ。とにかく馬イチ(※馬が1番)でやってきた。申し訳ないが人間は2番目。それでもスタッフはよく付いてきてくれた。馬主、牧場を含め、人には恵まれた調教師人生だった」

 父は当日輸送を発案し、坂路馬場の導入を提案。体にぴったりと合った勝負服「エアロフォーム」を開発した改革者だった。しかし、浅見師は“昭和の香り”漂うホースマン。厩(うまや)の男だった。今も午後運動を続けるが、これは関西で唯一。馬房もチップが主流となる中、干して乾かす寝わらにこだわった。「その分、作業に時間を割いている」と言い、スタッフへの申し訳ない思いを吐露するが、長いこと、厩舎を去ったスタッフはいない。

 9年連続で労災事故ゼロ。負傷と隣り合わせの世界で極めて優秀な数字だ。「イージーミスやヒューマンエラーを限りなくゼロにしたい。仕事は常に緊張してやるもの」が信条。だからこそ、スタッフへの口癖は「つまらんケガはするなよ」。言葉はぶっきらぼうだが、その裏に思いやりがあふれる。

 父の厩舎の解散に伴い、移籍してきたメジロブライトから成績が急上昇した。感謝の念は強い。大学の馬術競技で鳴らし、06年からスタッフに加わった長男・恵一助手への思いも語った。「僕は親父の生きざまを継承するのが精いっぱいだったかな。メジロブライトが天皇賞を勝って、親父から引き継いだ責任は果たせたかもしれない。せがれを褒めるのは気が引けるが、あいつは馬づくりが抜群にうまい」。父子3代の浅見イズムは、すなわち家族愛だったのかもしれない。

 最後に競馬の持つ魅力を語った。「サラブレッドは動く芸術品。(走らなくても)見ているだけで美しい。日本の競馬はメディアが大々的に取り上げ、ファンにも公明正大なスポーツとして浸透している。ますます繁栄するに違いない」。昭和の競馬を守りつつ、平成、令和まで駆け抜けた浅見師。最後まで馬イチを貫く。

 《鮫島駿恩返しVだ》浅見厩舎所属の鮫島克駿(25)は「先生(浅見師)には、いっぱい迷惑をかけた。勝って恩返しをしたい」とラストウイークに闘志を燃やす。小倉土曜2Rのヤマニンサルバム(牡3=浅見)は水曜の調教で70歳の浅見師が自らまたがって最後の仕上げを行った。鮫島駿は「2走続けていい内容(2→2着)。先生の調教で勝てたと言いたい」と意気込んだ。なお、3月1日からはフリーとなる。

 ◇浅見 秀一(あさみ・ひでかず)1951年(昭26)5月11日生まれ、京都府出身の70歳。故浅見国一元騎手、元調教師は父。73年騎手候補を経て、77年父の厩舎で調教助手に。91年調教師免許取得。長男・恵一は厩舎の調教助手。通算7883戦665勝。

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