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助けられた以上に人に与えた1500勝トレーナー

[ 2022年2月25日 05:30 ]

報道陣のあいさつに右手を挙げ応える藤沢和師(撮影・郡司 修)
Photo By スポニチ

 【競馬人生劇場・平松さとし】先週20日の競馬を終えて9勝。堂々と今年ここまでの関東リーディングの座にいるのが藤沢和雄師。残念ながら今週末で引退となる伯楽だ。

 「ああすれば良かったとか、こうすべきだったかとか、やり残したことはたくさんあります。でも、多くの人に助けられて、ここまで続けられたのは幸せでした」。こう語るように、1500勝トレーナーは多くの人との出会いで形成されていった。

 1951年、藤沢牧場で生まれた彼は21歳だった73年4月、機上の人となる。青藍牧場の田中良熊氏の紹介で英国ニューマーケットへ飛び、P・ゴードン調教師の下で学んだのだ。当時、同じようにフランスから研修に来ていたのが、のちに調教師となるP・バリー師やT・クラウト師。クラウト師はタイキシャトルがフランス遠征をした際に受け入れてくれた調教師だ。

 藤沢和師はニューマーケットでの研修時に彼と知り合い、彼の地元であるフランスへ足を伸ばした。その際、藤沢青年が出会ったのが当時、フランスに滞在していたミスター競馬こと野平祐二騎手(のちに調教師。故人)。帰国後、競馬会入りした藤沢青年はそんな縁もあり野平厩舎で働くことになる。そして、そこで7冠馬シンボリルドルフが誕生。藤沢助手はシンボリ牧場や岡部幸雄騎手(引退)とも縁ができる。このトロイカは藤沢和師の開業後、シンボリクリスエスでの天皇賞・秋制覇(02年)へとつながるのだった。

 こうしてトップトレーナーとなった彼の下には、ますます多くの人が集まり、その輪が広がっていった。角居勝彦師(引退)や武幸四郎師、蛯名正義師らも藤沢和厩舎で学んだ。川崎の山崎尋美師が研修したいと言ってきた際にはJRAに交渉。中央、地方の垣根を越え、同じホースマンとして学べる環境づくりに奔走した。

 「たくさんの人に助けられてきた」と語る日本一の調教師は、それ以上に多くの人に影響を与えて今週末、競馬場を去る。大調教師にお世話になった数多くのホースマンたちが、その最後の雄姿を目に焼き付けることだろう。(フリーライター)

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