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【1983年8月】ボヘミアン/葛城ユキ 大ヒットで私生活もバレてしまった

[ 2011年8月23日 06:00 ]

 ★83年8月ランキング★
1 ガラスの林檎、SWEET MEMORIES/松田聖子
2 さらば・・夏/田原俊彦
3 ためいきロ・カ・ビ・リー/近藤真彦
4 探偵物語/薬師丸ひろ子
5 ボヘミアン/葛城ユキ
6 時をかける少女/原田知世
7 半分少女/小泉今日子
8 初恋/村下孝蔵
9 Hey!Bep―pin/シブがき隊
10 想い出がいっぱい/H2O
注目キャッツ・アイ/杏里
※ランキングは当時のレコード売り上げ、有線放送、ラジオ、テレビのベストテン番組などの順位を参考に、話題性を加味してスポニチアネックスが独自に決定。

【ボヘミアン/葛城ユキ】

 10年目の大ヒット曲で私生活もバレてしまった。

 ライブで圧倒的人気を誇っていた葛城ユキが「チャゲ&飛鳥」の飛鳥涼作詞、井上大輔作曲のロック「ボヘミアン」が、ヒットチャートを急上昇。ベストテン番組を賑わしていた。

 その矢先の8月18日、コンサート先の青森県八戸市で腹痛を訴え緊急搬送されると、腹膜炎をおこしていることが判明。帰京し、緊急手術を受けることになった。

 病室の名札には芸名の葛城ユキではなく、本名が記入されるが、周りが知っている姓ではなかった。そのことが芸能マスコミの知るところなり、事情を事務所に聞くと「4年前に結婚、相手は一般のサラリーマン」ということが判明。葛城いわく「この世界とは関係のない人だし、言う必要もなかった。別に隠していたわけでも、ウソをついていたわけでもない」。図らずも、これで名前がさらに浸透。「ボヘミアン」は41万枚のレコード売り上げを記録した。

 絶えず変化と進化を求めてきた。岡山での高校時代はバレーボール部のアタッカーとして国体にも出場。実業団から声がかかり、入社。しかし、わずか1カ月で辞めている。「セッターへの転向を言い渡された。私はアタッカー。中心にいないと嫌だった」。

 もともと音楽をやりたいという夢もあった。これを機にと実家に「音楽がやりたい。捜さないで」と置き手紙を残して、半ば家出状態で大阪の音楽スクールに。74年にヤマハのポプコンに出場。「木曽は山の中」でデビュー。当初はロックではなく、ニューミュージック系だった。

 デビュー7年目にロックに転向。カーリーヘアを振り乱し、ハスキーな声でシャウトする“ロックの女王”のエネルギッシュなステージは評判となり、“女ロッド・スチュワート”の異名もとった。

 「ボヘミアン」のヒットは彼女の音楽環境を劇的に変えたことも確かだったが、以後それに縛られる自分もいた。ヒットから5年後は「ボヘミアン」と決別する意味でイメージチェンジを図り、ポップな曲調で社会問題も歌ったりした。

 03年、バラエティ番組の収録で大砲から飛び出す企画で全治8カ月の大ケガをし、再起不能かと危ぶまれた。それでも復活し、いまでも音楽活動は精力的に続けている。

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