榊原郁恵「どんどんこみあげてくる」「悔やまれることしか」 夫・渡辺徹さんお別れの会で寂しさ語る

[ 2023年3月28日 13:52 ]

<渡辺徹さんお別れの会>報道陣にあいさつする榊原郁恵と渡辺裕太(撮影・村上 大輔)
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 昨年11月に急逝した俳優・渡辺徹さん(享年61)のお別れの会が28日、東京・グランドプリンスホテル新高輪で行われた。約200人のタレントを含め、約1200人が出席した。

 妻の榊原郁恵(63)はあいさつに立ち「曇りだと思ってたのが、涙雨ですか。お足元の悪い中、大勢の方々が会いに来ていただき、本当にありがとうございます」と頭を下げた。「お別れの会って言いながら、明るく送りたくて、そのつもりでいたんですけど、どんどん込み上げてくるものがあります。“お父さんにもう1回会いたいんです”って言って、VTRを作成していただきました。声を聴きたくていろんな場面のVTRを作成してもらいました。会えたと思った」とこの日を迎えた心境を語った。

 「最初は安心してもらいたくて葬式で明るく家族みんで送った。それからの4カ月、後悔とか悔やまれることしか出てこなくて。裕太はお父さんの元気な声を聞いたみたいですけど、私のところには姿が現れず。お化けで出てくると怖いからやめてって言ってたんですけど、夢でも出てこないから、みんなの所に行ったのかなって。今日ここにいないのが残念です」と寂しさを口にした。

 それでも最後は明るいトーンで「皆さんの心の中には、私の知らない渡辺徹さんの姿があると思う。今日は徹さんのエピソードを聞きたいし、楽しい会にしたい。これからも渡辺徹をよろしくお願いします」と会場の出席者に語り掛けた。

 式典前には榊原と長男の渡辺裕太(33)が報道陣の前であいさつ。裕太は「お忙しいところ集まっていただきありがとうございます。きょうは明るく父親を送り出せる時間にしたいなと思います。よろしくお願いいたします」と力強く話し、榊原も「よろしくお願いいたします」と深々と頭を下げた。

 親交の深かった内藤剛志の掛け声で開式。発起人の文学座の先輩・中村雅俊と角野卓造がお別れのことばを述べ、裕太もあいさつした。

 設けられた祭壇には、2020年9月に夫婦で取材を受けた際の1枚で、満面の笑みの渡辺さんの遺影が。オンシジュームやひまわり、カーネーションなど、オレンジや黄色の花計11850本が彩った。太陽のように明るい渡辺さんをイメージ。渡辺さんと榊原郁恵の好きな色をテーマカラーに、デビュー当時の舞台デザインも用いながら、渡辺さんの笑顔を思い起こしてほしいとの願いが込められている。

 会場には、大好物のマヨネーズを持つ渡辺さんのパネルやラブラブ夫婦ショット、レコードや書籍などが展示された。

 お別れ懇談会では、お笑いコンビ・なすなかにしが司会を担当。ステージ上では、渡辺さんプロデュースのお笑いライブ「徹座」の看板芸人でもある中川家とサンドウィッチマンによる思い出トークなどが行われた。渡辺さんの懐かしの映像、参列できなかった著名人からのお別れのメッセージVTRも。最後は参列者で「約束」を歌った。また、9月2日に浅草公会堂で「徹座7」が開催されることも発表された。

 返礼品は、書籍やポストカード、渡辺さんの好物オリジナルデザインのマヨネーズだった。

 渡辺さんは高校卒業後の1980年、文学座の門を叩き、翌81年研究生に。同年、オーディションで「太陽にほえろ!」の竹本淳二(ラガー)刑事役を射止めて俳優デビューし、劇中で殉職するまで約4年間出演。82年には歌手デビューも果たし、2枚目のシングル「約束」が大ヒットするなどアイドル的な人気となった。柔和な明るいキャラクターで、バラエティー番組や情報番組の司会者としても親しまれた。84年のドラマ共演を機に榊原郁恵と交際に発展。87年に結婚した。結婚後も夫婦共演が多く、芸能界きってのおしどり夫婦と言われた。

 昨年11月20日に発熱や腹痛などの症状を訴え、都内の病院で細菌性胃腸炎と診断されそのまま入院。その後、敗血症と診断された。治療を続けていたが回復にはいたらず。最期は榊原ら家族にみとられて息を引き取った。葬儀・告別式は家族葬で執り行われた。

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