「流行感冒」本木雅弘“冬眠”1年ぶり演技 コロナ禍の俳優業に迷い 主夫になる想像も「今、参加すべき」

[ 2021年4月10日 06:00 ]

「流行感冒」本木雅弘インタビュー(上)

特集ドラマ「流行感冒」の主演を務める本木雅弘(C)NHK
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 俳優の本木雅弘(55)が主演を務めるNHKの特集ドラマ「流行感冒」は10日(後9・00~10・13)、BSプレミアムで放送される。本木は“美濃のマムシ”こと戦国武将・斎藤道三役を“怪演”し、大反響を呼んだ昨年の大河ドラマ「麒麟がくる」以来、1年ぶりの演技。コロナ禍のため「しばらく“冬眠”するぐらいの気持ちで、お芝居の仕事は受けないつもり」だったが、約100年前のスペイン風邪の流行をテーマにした今作が現代に通じると共鳴。自粛期間中に「主夫になってもいい」と想像したこともあったという本木に胸中を聞いた。

 原作は、今から約100年前に全世界を未知なる恐怖に陥れた「スペイン風邪(スペインインフルエンザ)」の流行をテーマにした“小説の神様”志賀直哉の同名短編小説。1919年(大正8年)に発表された。スペイン風邪は日本でも流行し、1918年(大正7年)から3年間で関東大震災の実に4倍に当たる約40万人の死者が出たという。当時と現代を重ね「今を生きる私たちへの希望と指針を与えるドラマとしたい」と制作。理性を失い、無闇に人間不信に陥った小説家の主人公・私(本木)が、人への信頼を取り戻し、日常に帰るまでの心理的な綾を描く。

 脚本は上演台本を手掛けた昨年の舞台「ゲルニカ」が“演劇界の芥川賞”と呼ばれる第65回岸田國士戯曲賞の最終候補作品に選ばれた劇作家の長田育恵氏、演出は連続テレビ小説「花子とアン」、「セカンドバージン」「永遠のニシパ~北海道と名付けた男 松浦武四郎~」などで知られる柳川強氏が務めた。

 昨年1月に行われた「長良川の戦い」のロケに参加し「麒麟がくる」の撮影を終えた後、新型コロナウイルスの感染が拡大。「先行きが不透明な中、作品にご迷惑もお掛けしたくないし、スケジュールのことで自分が右往左往するのも避けたかったので、しばらく“冬眠”するぐらいの気持ちで、お芝居の仕事は受けないつもりでいました」。自ら演技から遠ざかった。

 09~11年に放送されたNHK「坂の上の雲」に主演。「その3年の間、ほぼ他の作品に携わることはなかったんですが、これを機に、亀のペースで仕事をさせていただくのが自分のスタンダードになって、スケジュールを真っ黒に埋めて忙しく役を重ねるということは、ほとんどなくなりました。なので、焦る気持ちも正直あまりなかったんです。それよりも、東日本大震災の時と同じように自分なりに価値観を再構築しなければいけないということに心を奪われ、他愛のない家族の絆がいかにかけがえのないものかを痛感する日々でした。必ずしも役者という仕事がマストじゃないのかもと。例えば、自分が働かなくなったら、家族の別の誰かがその役割を請け負うという選択肢があってもいいんじゃないか。それこそ、もしも妻がもっと表に出て働きたいということなら、自分はポンと引っ込んで主夫になってもいい。そういう想像も巡ったりしました。なので、残念ながら、自分の中で芝居に対する欲求があまり膨らまなかったんです。今、世の中や自身にとって、どんな作品が必要なのか、皆目見当もつかないというふうに戸惑っていたのが実情でした」とコロナ禍において俳優業に不安や迷いが生まれたことを打ち明けた。

 そんな“冬眠期間”の中、昨年秋の終わりに今作のオファー。スペイン風邪をコロナに置き換えれば、100年前の物語が鏡のように現在を映し出す。

 「震災の時もそうでしたが、自分が『お気持ち、お察しいたします』などと言ったところで、何の癒やしになるのか分からない。そういう歯がゆさを感じながらも、やはり自分がお芝居を通じて皆さんに少しでも何かを与えられる存在だとするならば、人間同士が向き合っていく時に忘れちゃいけない普遍的なものを感じるこの作品は是非、世に送り出したいと思いました。と同時に、これは役者として戸惑いを抱える自らへのリハビリにもなる。不安はさえておき、これは今、参加すべき作品だと。流行感冒という目に見えない脅威に心を乱しながらも、信頼というものがいかに大事な宝物か、主人公は気付き直します。劇中、『人は簡単には負けない。つなぎとめるものがたくさんある』という台詞もありますが、まさにその通りで、まだコロナ禍が終息していない今だからこそ気付けること、伝わることがある、ささやかながら意義のある作品。その“運び役”になれる喜びの方が勝りました」と快諾。演技復帰は「正直これ以外にないと思いました」というほどの巡り合わせだった。

 原作は志賀直哉が千葉・我孫子に住んでいた頃の“半ドキュメンタリー”だが、主人公に名前はなく「私」。本木としても志賀を演じたわけではないが「多少なりともイメージをつかむために、ほんの少し程度は志賀さんのことを調べたんですが、文壇から適度な距離を置き、生活も都心より郊外の自然を求め、心身に風通しのよい健やかな暮らしを目指したとか。物事の調和にこだわり、自問したり、反発してみたりの姿勢に、人生への思いやりを感じました。多少荒げるところがあっても、心の奥には温味がある…どこかご本人とそんな通じ方があればいいなと思いながら演じました」と、さり気なく原作者への敬意を込めた。

 感染対策を徹底したコロナ禍の撮影は未知だったが「最初の顔合わせ、本読み、リハーサル、本番前のテストと常にマスクをした状態だったので、相手の表情はずっと分からないまま。ようやく本番でマスクが外れ、初めて顔全体が見える。自分としては相手の演技に対する反応がフレッシュだった気がします。それはたぶん相手も同じで、お芝居が慣れっこにならず、やり取りの鮮度が保てたんじゃないかと思うんです」と新発見も。ただ、終始マスクをしていたスタッフは「マスク込みの顔で覚えてしまい、この先お会いした時に、素顔で『“流行感冒”でご一緒した者です』と声を掛けていただいても、ピンとこないかもしれません」と苦笑した。それもまた、現場に戻ってきたからこそ感じるものだった。

 タイトルこそ重苦しいが「是非、多くの皆さんにご覧いただき、一家族の危うく滑稽な出来事を通して、どんな状況にとっても『人は人を愛おしいと思える力を持っている』そんな小さな希望の光のようなものを感じていただければ幸いです」。本木を“冬眠”から呼び覚ました“不要不急じゃない”作品と、流行感冒に翻弄される人間くささを体現した本木の演技は見る者の琴線に触れるに違いない。

 【あらすじ】小説家の私(本木雅弘)は、妻の春子(安藤サクラ)と4歳の娘・左枝子(志水心音)、2人の女中・石(古川琴音)きみ(松田るか)とともに都心を離れた静かな村で暮らしている。最初の子を生後すぐに亡くしたせいで、娘の健康に対して臆病なほど神経質である。時は、大正7年(1918年)秋。流行感冒(スペイン風邪)が流行り、感染者が増え始める中、女中の石が、よりにもよって村人が大勢集まる旅役者の巡業公演を観に行ったのではないか、という疑惑が浮上する。私は石を問い詰めるが、石は行っていないと否定。疑念を拭えない私は石に厳しく当たり、左枝子に近づかないよう言いつけるが…。

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