“バナナNG”もあった志村さんの職人魂、交流25年のダチョウ倶楽部が語る素顔

[ 2021年3月30日 05:30 ]

志村けんさん一周忌

「アイーン」のポーズをとる「バカ殿」姿の志村けんさん(前列左から3人目)とダチョウ倶楽部
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 公私で交流があったダチョウ倶楽部の肥後克広(58)、寺門ジモン(58)、上島竜兵(60)はスポニチ本紙に3人にしか見せなかった志村さんの素顔を明かした。

 3人は約25年の付き合いがあり、中でも肥後と上島はプライベートで何度も酒を酌み交わした仲。多い時は最低でも週6回は飲んでいたという上島は「さみしがり屋で、人間くさくて、スケベで…。面白いことには素直に面白いと言ってくれましたね」と、その優しさに染み入った。

 生涯を笑いにささげたプロフェッショナルだけに志村さんは、どこまでもコントの現場にこだわった。「バーのコントでは、グラスの氷がカリンと鳴るまで溶けるのをずっと待ったり…」と寺門。肥後も「バナナの曲がり方が違うと、それだけでコントをバラしたりして。“バナナNG”なんてものがありましたね」と笑いながら振り返った。

 交流が始まったのはプロレスラー川田利明(57)がつないだ縁からだ。96年の秋、川田と志村さんが飲んでいる席に上島が呼ばれ同席。その場で志村さんから「志村けんのバカ殿様」のオファーを受けた。時を同じくして寺門は、麻布十番のレストランで志村さんと偶然遭遇。「コント頼むね」と声を掛けられたという。その時の会計も知らぬ間に支払われており、大先輩の粋な姿を目の当たりにした。

 コントの収録後は毎回、飲みに出掛けた。寺門はあまり酒を飲めなかったが「それをネチネチ言うのではなく“またトレーニングか。頑張ってな!”と声を掛けてくれました」(寺門)と志村さんは3人に常に目をかけていた。

 志村さんの芸の礎となったのは「ザ・ドリフターズ」の活動だ。「8時だョ!全員集合」は毎回、客を入れての公開生放送。週3日はスケジュールを取り、客を喜ばせるため秒単位で笑いの“間”を計り、入念なリハーサルを行った。志村さんはメンバーとなってから過酷な12年間を走り抜けた。だからこそ、06年から毎年開催した舞台「志村魂」を生涯大事にしていた。上島は「お客さんの前に立って笑いを取る。それが師匠の原点。だから舞台では本当に輝いていた」と語る。

 3人は全14回の公演全てに参加。晩年は志村さんの体調も万全ではなく、くたびれた様子も多かったという。それでもステージに上がると激しく動いて爆笑をかっさらった。

 肥後は「そんな志村さんを舞台で見るのが大好きでしたね」としみじみ。寺門も「子供からお年寄りまで幅広い世代の笑い声。僕らダチョウ倶楽部の舞台では味わえない興奮がありました」と明かした。

 志村さんにとって、「笑い」が何よりの原動力だった。女性にはよくモテたが、上島は「やっぱり師匠を支えていたのは“女性とのアレ”よりも結局笑いなんですよ」と懐かしそうに目を細める。

 昨年志村さんは、夏に予定していた舞台を待たずして亡くなってしまった。「師匠の“魂”が残る限り、これからも舞台は続けたい」と肥後。新型コロナという悔しさをバネに愛弟子たちはこれからも“志村イズム”を継承していく。

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