義理と人情…男の中の男 公私にわたり親交あったスポニチOBが渡さんを悼む

[ 2020年8月15日 05:30 ]

渡哲也さん死去

「仁義の墓場」出演発表会で手を取り合う(左から)岡田社長、渡哲也さん、石原裕次郎さん
Photo By スポニチ

 コロナ禍にうだる猛暑。石原プロの幕引きのニュースに続く渡哲也の訃報。何という無慈悲な令和2年の夏だろう。

 渡と電話で話したのは石原プロ幕引きの情報が流れた7月16日。

 「主なき後、33年も続いたことが奇跡。幕引きの主因は跡継ぎがいないこと。石原裕次郎の名前を汚してはいけないという信念のもとでやってきましたが、(幕引きは)頃合いではないかと思います」と、淡々とした口調がスマホから伝わってきた。

 筆者が、1965年(昭40)スポニチの映画記者になった年、渡は「赤い谷間の決斗」で裕次郎と共演の幸運に恵まれた。新米記者の筆者と新人俳優の渡哲也。2人の共通点は石原裕次郎に憧れて、映画記者と俳優になったということであった。以来、55年の公私にわたる交友が続いた。

 渡には記者として大きな借りがある。一つは彼がNHK大河ドラマ「勝海舟」(74年度)の主役を肋膜炎のため9回で降板が決まった夜11時ごろ、スポニチに直接電話があった。たまたまデスクにいた筆者の受話器口で「脇田さんに一言と思って電話しました。実は勝海舟を降りることになり、このことを他紙がかぎつけ取材しているみたいなので、義理のある脇田さんに連絡しようと思って。後釜は松方弘樹さんがやりますので」と。

 おかげで「渡哲也、勝海舟を降板 代役に松方弘樹」とスクープをものにできた。

 あと一つの思い出は東映の看板スターだった高倉健が76年に東映を退社する直前のこと。前年に「仁義の墓場」で初めて東映作品に招いた当時の映画界のドン岡田茂社長が渡を絶賛。石原プロから引き抜き、ポスト高倉健にしたいと、渡を赤坂の料亭に呼んで、岡田社長自ら口説いた現場に立ち合った。

 渡は「せっかくのお言葉ですが、私は石原裕次郎に拾われ、これまで育てていただいた恩があります。それだけは勘弁してください」ときっぱり断った。渡という役者の義理人情に分厚い真の男の姿をこの時も強く感じた。

 月に1回。こちらからショートメールを入れると3分以内に電話がかかり、世間話に花を咲かせてきた。

 「コロナに負けずにお互いもう少し元気で生きましょうや」といつもの野太い口調の渡だった。彼の死で2人の「青春」はぷつんと切れた。無念でならない。=敬称略=(スポニチOB、脇田巧彦)

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