岡村隆史 芸能界への憧れ…きっかけは五輪メダリスト 親友・中居正広も驚き「知らない、これは…」

[ 2020年2月1日 12:46 ]

お笑いコンビ「ナインティナイン」の岡村隆史
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 お笑いコンビ「ナインティナイン」の岡村隆史(49)が1月31日放送のTBS「中居正広の金曜日のスマイルたちへ」(金曜後8・57)にゲスト出演。芸人を志すきっかけとなった同級生の五輪メダリストとの意外なエピソードを明かした。

 岡村が最初に芸能界への憧れを抱いたのは幼稚園の頃。当時、地元の器械体操クラブに通いで、運動神経が良く、明るい性格だったため、クラブの中心的な存在だったという岡村。するとある日、その体操クラブに“天才少年”が入ってきたという。その天才少年がのちにソウル五輪(88年)、バルセロナ五輪(92年)に出場し、銅メダルを獲得することになる西川大輔氏(49)だった。

 岡村は「僕は(西川氏を)幼稚園、小学校の時から見てますけど、天才なんです。入ってきて、これやれ、あれやれって言われたらすぐできるし、そうなってくると大人が3人、4人付きっきりで、英才教育みたいになっていくんです。大車輪と宙返りとかそんなのも練習しだすんですよ」と当時を回顧。そんなある日、噂の天才少年を取材するため、地元のテレビクルーが取材に来たことがあったといい、「その時に照明がパッとたかれて、『あ、これがテレビか。こんな眩しいんや』と思って。夕方のニュース、キラキラした眩しい中でずっと西川大輔はいるんや!と思って。『ええな』と思ってました」「キラキラキラ眩しいって思うぐらい、スーパースターだった、うちの地区では。すごいよ、オリンピック出るんやから。全然違います、天才です」とまさにこの瞬間がテレビ世界へ憧れた瞬間だった。この岡村のエピソードに、親友の中居正広(47)も「知らない、これは…」と驚きの声を上げた。

 ただ、それと同時にどうしようもない才能の差を痛感し、小学生で器械体操を断念。その後、中学時代はブレイクダンスに明け暮れた岡村。地元で有名なダンスチーム「Angel Dust Breakers」にも加入し、“KID”の愛称で知られた存在となった。当時は、ダンサーとしてプロを目指すことも考えていたというものの、今度は高校受験のため、ダンスの道も諦めた。

 そして、無事に高校へ進学し、入部したサッカー部で相方・矢部浩之(48)と出会った。ただ、芸人を目指すことになるきっかけは、サッカー部の先輩だった矢部の兄・美幸さんが養成所NSC7期(同期が雨上がり決死隊ら)に入ったことだった。美幸さんの2丁目劇場での舞台には矢部と2人で行ったそうで「そこで見た矢部の兄貴に目を奪われた。2丁目の舞台で照明がパーンって当たってて、キラキラした場所に見えた。知ってる人が、先輩が漫才しているのを見て…。客席が暗いじゃないですか。でも、ステージだけではパーンと当たってて、『凄い、ええな』と思った。立ちたいな、あそこにと思って。たぶん相方も同じことを思った。あそこに立ってみたいって」と振り返った。

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2020年2月1日のニュース