【大人の魅力】増田惠子 「特別な年」60歳は“これからいいところ”

[ 2017年10月29日 10:40 ]

故・阿久悠さんの思い出を胸に公演に臨む増田惠子
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 かつて一世を風靡(ふうび)したピンク・レディーの一人、ケイこと増田惠子(60)に作詞家阿久悠さんへの思いを聞いた。彼女たちのデビュー曲「ペッパー警部」をはじめ数々の昭和歌謡を手がけたヒットメーカーが、この世を去って10年。ケイは「今の方が先生を近くに感じています」と恩師をしのんだ。

 8月1日はケイにとって特別な日だ。07年に急逝した阿久さんの命日。月日がたつのは早い。好きだったトルコキキョウを墓前に供え手を合わせると、なぜか心が穏やかになるから不思議だ。

 「いつも悩み事を聞いてもらったり、昔話をしたり。これからのことを相談することもあります。お互い忙しくてあまりお話をする機会もなかったですね。今の方が逆に先生が近くにいらっしゃるような気がします」

 阿久さんはピンク・レディーの生みの親の一人。初めて会ったのは、日本テレビ「スター誕生!」。ミー(未唯mie)こと根本美鶴代とオーディションに参加。いつもヘッドホンをして難しい顔をしている審査員。緊張している歌手の卵に厳しいコメントを投げつける作詞家。そんな近寄りがたい雰囲気の阿久さんが、そこにいた。

 「いつか出たいとテレビで見ていた頃から、一番怖い先生だと思ってました。寡黙な感じ。言葉は決して多くないのに、ズバッとダメ出しをする。私たちのことも結構、きつかったですね」

 阿久さんの優しさに触れたのは、デビューが決まった後のことだった。歌って踊って疾風のように時代を駆け抜けた2人。でも、その出発点となった「スタ誕」では、フォークソングを歌うおとなしい女の子。合格後、その路線で売り出すことになり、芸名も「白い風船」に決まりかけ、サインの練習までしていた。ところが、「ピンク・レディーにしよう」と土壇場でひっくり返したのは、阿久さんとのコンビでヒットを連発した作曲家の都倉俊一さんだった。

 「あの時は、心の中で“ヤッター”って叫びましたね。それまでも私たちはミニスカートでブーツを履いてポップな曲を歌ってたんです。最初の名前を頂いた時は、終わったなって複雑な思いでした。芸名によって歌う曲まで変わってしまいますから」

 彼女たちのデビュー曲「ペッパー警部」(1976年)は、まさに明るく元気な2人にピッタリ。阿久さんから詞を手渡された時のことは今でも覚えているという。白い紙に右上がりの特徴のある太い字。力強い筆致で書かれたタイトル。その横には、なんと外国人風のペッパー警部のイラストまで描かれていた。

 「みんな、驚きました。きっと歌のイメージを私たちに伝えるために描いてくれたんだと思いました。出だしの“ペ”は破裂音。ポンポコリンとかピンポンパンとか、子供が好きな音なんです」

 考え抜かれたユニークな詞が、いきなりサビという大胆なメロディーに乗って大ヒット。彼女たちは一気にトップアイドルへ名乗りを上げた。故土居甫(はじめ)さんの振り付けも相まって子供たちにも大人気。しかし、名声とは逆に睡眠時間は短くなり、分刻みのスケジュールに。元々スリムだったケイは体重が10キロも減少した。

 月に1、2度、「スタ誕」にゲスト出演すると、舞台裏でいつも阿久さんから、こう声を掛けられた。

 「きちんとメシ食ってるのか」

 「ちゃんと寝てるのか」

 2人は「大丈夫です」を繰り返しながら、会話をする間もなく次の仕事先へ向かった。「今考えると、もう少しお話をしていればよかったなあって思います。きっと心配してくださっていたんですね。本当にありがたいです」

 「北の宿から」「津軽海峡・冬景色」「また逢う日まで」など阿久さんのヒット曲は数え切れない。来月17、18日、東京国際フォーラムで没後10年作詞家50年「阿久悠リスペクトコンサート」が行われる。18日に出演するケイは、阿久さんが残した未発表の詞に加藤登紀子が曲をつけた「最後の恋」、MAXと共演の「UFO」を披露する予定だ。

 大人になったケイは一段と魅力的。時折、のぞく恥ずかしそうな笑顔はアイドル時代と変わらない。今年60歳。「私、正直言って還暦って言われるのが少し嫌でした。もう若くないみたいな、一区切りというか。あまりポジティブに捉えることができなかったんです」

 そんな彼女の考えを180度変えたのは、長年、ファンクラブでケイを支えた同い年の友人だった。誕生日の翌朝、1通のメールが入った。そこには「自分の人生はケイとともにあった。ケイと出会って自分の人生も花開いた。ありがとう」。その文面に感激。「60歳って何か特別な年なんだなあって。ものの受け止め方も人の接し方もそうですし、心がどんどん深くなっていく年齢なんだと感じました」

 美しさと健康をキープするため、現在も週1回、クラシックバレエのレッスンを欠かさない。バレエ歴はすでに30年。「姿勢も正しくなるし、何よりも汗を流すと気持ちがいい」。もう一つの趣味は、バラの栽培。「自宅のベランダで育ててます。とても難しいですが、愛情をかけるとかけるだけ、立派な花をつけてくれます。香りもいいですよ」と笑顔。

 60歳はまだまだこれからの合図。再び大輪の花を咲かせる日も近そうだ。

 ◆増田 惠子(ますだ・けいこ)歌手。1957年(昭32)9月2日生まれ、静岡県出身。76年、ピンク・レディーでデビュー。「S・O・S」「ウォンテッド」などヒット曲多数。81年解散、同年、ソロデビュー。「すずめ」が話題に。11月24日には、銀座ヤマハホールでコンサート「増田惠子〜60 Candles」を開催する。

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