若くして散った小染 存命であればちょうど古希で…

[ 2017年7月2日 09:30 ]

「ヤングおー!おー!」の「ザ・パンダ」で人気を博した(左から)桂文珍、月亭八方、桂きん枝、林家小染さん
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 【佐藤雅昭の芸能楽書き帳】上野動物園(東京都台東区)で6月12日に誕生したジャイアントパンダの赤ちゃんが順調に大きくなっている。母親シンシン(11歳)の栄養たっぷりの母乳ですくすく成長。性別も雌と判明し、白黒模様も日増しにくっきりしてきた。同動物園では5年ぶりのベビー。一般公開の日が待ち遠しい。

 パンダと聞いて、このユニットを思い出してしまうのだから筆者も古い。1969年から82年まで続いた毎日放送(TBS系)制作のバラエティー番組「ヤングおー!おー!」内で結成された、その名も「ザ・パンダ」だ。

 桂きん枝(66)、桂文珍(68)、月亭八方(69)、林家小染(四代目)という吉本興業所属の当時売り出し中の落語家4人。全国でオンエアされていたので、上方の笑いを身近に感じさせてもくれた。

 番組が終わっても、この4人の名前はしっかり頭にインプットされた。そんなさなかの84年1月31日。四代目林家染丸襲名の話も浮上していた小染の悲報が飛び込んできた。2日前の同29日に大阪府箕面市の自宅近くの路上でトラックにはねられ、脳挫傷で緊急入院。意識が戻らないまま36歳の短い人生を閉じた。酒でたびたび問題を起こし、この事故も酔って道路に飛び出してしまったのが原因と言われた。47年6月11日が誕生日。上野の赤ちゃんパンダと1日違いで、生きていれば70歳を迎えたばかりだ。

 酒で命を縮めた落語家といえば、東の四代目三遊亭小円遊も思い出す。“キザ”を売り物にした人気者。80年10月4日に山形県村山市民会館での公演中に体調不良を訴えて病院に救急搬送され、翌5日に東京から駆け付けた家族にみとられて亡くなった。死因は食道静脈瘤(りゅう)破裂。43歳、働き盛りの死だった。

 日本テレビの「笑点」でもおなじみだった小円遊。糖尿病を患っていたが、大好きな酒はやめられなかった。当時の司会者だった三波伸介からも「酒をやめるか、笑点をやめるか」と選択を迫られたこともあったと聞く。当時のスポニチを読むと、悲報に桂歌丸(80)は「弟を亡くしたような気持ち」とコメントしている。この小円遊という名跡。初代、三代目、そして四代目がいずれも早世しており、四代目が他界してからは継ぐ者が出ていない。

 落語以外の分野でも活躍し、74年公開の山口百恵(三浦百恵さん、58)主演の映画「伊豆の踊子」には紙屋の役で出演。息を引き取ったのは、その百恵さんの“さよならコンサート”が日本武道館で行われた日だった。偶然にしても不思議な縁を感じさせる。

 さて、小円遊の「笑点」出演は80年9月までだから、77年8月にレギュラーになったこの人とも3年ほど重なっている。六代目三遊亭円楽(67)だ。6月27日に行われた落語芸術協会(桂歌丸会長)の役員会で、客員としての芸協加入が正式に承認された。これで落語協会と芸協しか興行が打てない定席(上野の鈴本演芸場、新宿末広亭、浅草演芸ホール、池袋演芸場)への出演がかなうことになる。ちなみに鈴本は落語協会が常時興行を行っている。円楽は「寄席で育った人間としてはうれしかった。これで歌丸師匠の代演もスムーズにできますよ」と冗談交じりに語った。

 大師匠の六代目三遊亭円生と師匠の五代目円楽とともに落語協会を脱退した78年から寄席に出演できない状況だった。引き続き五代目円楽一門会にも所属し、当面は単独での寄席出演。迎える歌丸会長も「大変なプラスです。ただ、給金は安いですけどね」と歓迎している。落語界のさらなる活性化につながるか注目される。 (編集委員)

 ◆佐藤 雅昭(さとう・まさあき)北海道生まれ。1983年スポニチ入社。長く映画を担当。

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