生稲晃子 乳がん公表で「生きていて楽になった」率直な思い吐露

[ 2016年5月17日 19:11 ]

著書「右胸にありがとう そしてさようなら~5度の手術と乳房再建 1800日~」出版記念講演前に取材に応じた生稲晃子

 昨年11月に乳がんを患っていたことを公表した元おニャン子クラブのメンバーでタレントの生稲晃子(48)が17日、都内で著書「右胸にありがとうそしてさようなら~5度の手術と乳房再建 1800日~」出版記念講演会を行い、講演前に報道陣の取材に応じた。

 11年4月に人間ドックで早期の乳がんが発見され、翌5月に1度目の手術を受けた。その後、2度の再発を経て13年12月に右乳房全摘出手術を受け、昨年10月に再建手術を終えたことで、同11月に長年の闘病を公表した。

 現在の状態については「たぶん今はない状況だと思う」とし、乳がんの再発を抑制するための女性ホルモンを減らすホルモン剤を服用しているという。5年前、人間ドックで病気が発覚した時について「まさか自分がという…それだけです。ショックでした、やっぱり」と回顧。「がんという二文字は怖かった。今でも死ぬという言葉に近くにあるイメージがある。ずっと元気だったのに、まさか自分がと思った。先生からお話を聞いた時は怖かったです、それだけでした」と続けた。

 この5年の間に5回の手術を経験。「5回って、改めて考えると、1カ所ですから多いよなとは思う。その都度、その都度、元気を取り戻して何とかやってこられた」とかみ締めた。闘病には「家族の存在が大きかった。最初にがんが見つかったときは子どもが5歳だった。とにかく生きなきゃいけないと。再発をしてからは、成人するまでは死んでたまるかと思った」と家族に感謝をしつつ「お仕事をさせていただいていたのがそれが良かったのかなとも思う」と仕事を続けての闘病がいい方向にいったことも明かした。

 闘病5年のこのタイミンでの公表になった理由について「2回目の再発の後、せっかく生きるか死ぬかの病気になったんだから自分の経験を誰かの力になってもらえるように話をしていきたいと思った」「公表を控えていたことでがん友もできなかった。つらい状況を共有する仲間がいなかった。いつもネットで同じような状況の方のブログを読んで励まされていた。今度は自分が恩返しする番だと思った」「再建までした例はそんなには情報として少ないと思った」と3つを挙げた。「公表したことで自分が1番楽になるんです」と率直な思いを吐露。「何より自分が楽になった。ホットフラッシュ(ホルモン剤の副作用)があっても、言えなかった。今は治療中でこうなっているって、皆さんに正直にお話をできるようになったので、すごく生きていて楽になったんです」と話した。

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2016年5月17日のニュース