欽ちゃん ダービーを語る…強さだけじゃない、物語を持つこと

[ 2015年5月26日 11:11 ]

騎手のポーズでダービー愛を語った萩本欽一

 31日に東京競馬場で行われる競馬の祭典「第82回日本ダービー」は、競馬ファンのみならず多くの人々を魅了する。馬主としてダービーに参戦した経歴も持つ萩本欽一(74)に、サラブレッドの夢舞台の魅力を“ドンと”語ってもらった。

 最高峰に挙げるのが73年。「やっぱハイセイコーでしょ」。大井競馬場で「怪物」と呼ばれ、中央競馬移籍後も無敗のままダービーへ。当時、ダービー史上最高の単勝支持率66・6%を記録し、当時、競馬とは縁遠かった女性や子供からもファンレターが大量に届くなど、社会現象を巻き起こした。

 「ほかの馬が最終コーナー回ったら、もうゴールしてたってくらい怪物だった。あの時は“さすがに中央行ったら勝てねぇよ”ってのと“負けねぇよ”って声に二分されてたね」

 結果は3着。でも「大舞台に出られないでいる人にも夢を与えた。無条件で応援したい気分にさせた馬だよ」。強さだけでなく、物語を持っていることが、ダービーには肝要だと説く。

 現在まで「無名の馬が事件を起こすところを見たい一心で」約30頭の馬を所有。99年にジャパンカップに出走したアンブラスモアという有力馬も出たが「最近は大馬主に太刀打ちできない。ダービーも強い、弱いだけの話になったきらいもある」と憂う。「騎手だって喜びたいだろうに、ヘルメットを投げちゃダメとか規則がある。気の毒だしもったいない。ダービーくらい特別な絵を提供してもいいじゃない?馬は喜べないんだもん」

 欽ちゃんの人生は客を笑わせるためにあった。東京・浅草の小劇場から「視聴率100%男」と呼ばれるまでになった歩みは、まさにハイセイコーのようだ。「当たった番組には物語がある。裏側で人間ドラマが始まると、成功するんだよね」と、しみじみ振り返る。

 今年は74歳にして、駒沢大仏教学部に合格。大きな話題を呼んだ。「馬のほうでロマンがつくれないからってわけじゃないけど、自分がやったことが、世間にドラマだと思っていただけるならありがたいこと。8歳馬が引退寸前に踏ん張って走ってるようなもんかな」と照れる。

 でも、「芸能界にはダービーはないんだ」と言い切る。「もしそんなレースがあったら怖くて、出て行かなかった」。70~80年代、ドリフターズらとのし烈な視聴率争いがダービーに相当したのかと思いきや「意外とお付き合いはしてたから。お笑いはそういう(争う)部分はないね」と話す。

 「やっぱりダービーとは比べられないよ。番組づくりや、ましてひとりの人間でも、ある程度の物語があるんだから、あの舞台にはもっとあってもいい」と持論を語る。

 「ダービーで一番美しいのは、ゴール後にみんなが勝者にコールする風景なんだ。1年に何千頭と競走馬が生まれる中でたった1頭しかつかめない幸運。それを大観衆が全員祝福できるような、そういう物語がことし、できるのが一番うれしいね」。“視聴率100%超え”のロマンを欽ちゃんは待ち望んでいる。

 ◆萩本 欽一(はぎもと・きんいち)1941年(昭16)5月7日、東京都生まれの74歳。66年に始めた坂上二郎さんとのコンビ「コント55号」で人気を博した。80年代初頭にはフジテレビ「欽ドン!」テレビ朝日「欽ちゃんのどこまでやるの!?」など冠番組が軒並み30%超えの高視聴率をマークした。

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