肺がん告白から543日…筑紫哲也さん逝く

[ 2008年11月8日 06:00 ]

死去したジャーナリストの筑紫哲也さん

 TBSの報道番組「筑紫哲也NEWS23」のメーンキャスターとして活躍したジャーナリストの筑紫哲也(ちくし・てつや)さんが7日午後1時50分、肺がんのため都内の病院で死去した。73歳。大分県出身。葬儀は近親者のみで行い、後日お別れの会を開く。喪主は妻・房子(ふさこ)さん。昨年5月、番組内で肺がんを告白し「がんに打ち勝ってまた戻ってきます」と宣言し、闘病生活を続けていた。新聞、雑誌、テレビなどジャーナリズムの第一線で活躍。映画、音楽、演劇など芸術の分野にも造詣が深かった。

 落ち着いた語り口と鋭い視点で多くの視聴者の信頼を集めた筑紫さん。関係者によると、家族にみとられて静かに息を引き取ったという。
 昨年5月14日に番組内で「先週、初期の肺がんだと分かった。しばらく治療に専念したい。自分ががんになるとは思ってもみなかった。がんに打ち勝ってまた戻ってきます」と宣言。闘病生活に入ってからは、特番などに声のみで出演。同10月8日には147日ぶりにスタジオに登場。抗がん剤で髪の毛が抜け、一部は付け毛だと明かしながらも「約束したことが果たせてうれしい」と笑顔を見せていた。
 関係者によると、がんは全身に転移。鹿児島県の病院で治療を受けていたが今週に帰京。数日前に容体が悪化したという。がん告白から543日で帰らぬ人となった。
 療養中はDVDで映画や最新ドラマを観賞したり読書をして過ごしていた。国の行方を憂い、福田康夫前首相が辞任した時には「国としての体をなしていない」と嘆いていたという。
 1959年、朝日新聞社に入社。政治部、米統治下の沖縄特派員を経てワシントン特派員となり、ウォーターゲート事件などを取材。その後「朝日ジャーナル」編集長時代には企画「新人類の旗手たち」が話題になり「新人類」は流行語になった。
 テレビへの進出は78年、テレビ朝日「日曜夕刊!こちらデスク」。89年には朝日新聞を退社しTBS「筑紫哲也NEWS23」のメーンキャスターに。新聞記者として培ってきた独特の視点で論評するコーナー「多事争論」が人気で、TBSがオウム真理教幹部に坂本堤弁護士のインタビュー映像を見せた問題では「TBSは死んだに等しい」と発言、大きな反響を呼んだ。
 昨年12月に後藤謙次・前共同通信社編集局長にキャスターを譲った後も、スペシャルアンカーとして体調を見ながら時折出演。今年8月11日に哲学者の梅原猛さん(83)と対談したのが、最後のテレビ出演となった。
 「NEWS23」で97年10月から06年9月までサブキャスターを務めた草野満代さん(41)は「いつも穏やかで懐が深くて、どんなに違う意見にも耳を傾け論議する。まさに“多事争論”そのものの方でした」とコメントを寄せた。映画や音楽、演劇をこよなく愛し、番組でも文化や芸術を積極的に取り上げ、黒澤明監督や指揮者の小澤征爾らをゲストに招いた。作曲家・滝廉太郎は大伯父で、大分県竹田市の滝廉太郎記念館の名誉館長だった。

 筑紫 哲也(ちくし・てつや)1935年(昭10)6月23日、大分県日田市生まれ。早大政経学部卒業後、59年に朝日新聞社入社。政治部記者、米ワシントン特派員などを経て84年に朝日ジャーナル編集長に。89年7月に同社を退社し、10月から「筑紫哲也 NEWS23」のメーンキャスターに。06年4月から立命館大学客員教授。ベストドレッサー賞(92年)、橋田賞特別賞(05年)、日本記者クラブ賞(08年)などを受賞。著書は「多事争論」(95年)「スローライフ」(06年)など多数。

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2008年11月8日のニュース