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【元担当記者が悼む】あの有名な「道」 一体誰の詩なんですか?の質問への答えは私の“道”に

[ 2022年10月1日 15:53 ]

1994年、新日本プロレス・東京ドーム大会で最後は長州力(左)らと気勢を上げるアントニオ猪木
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 「この道を行けばどうなるものか…」。猪木信者なら誰もが知っているであろう。1998年4月4日。引退試合を終えた猪木氏がリング上で朗読した「道」。東京・上野毛の新日本プロレスの道場には当時、この詩が壁に大きく掲げられていた。道場を訪れる記者は皆、この詩が道場訓であることを知っていた。

 引退の前年。記者1年目だった。道場に他社の記者はいなかった。練習を終えて一息ついた猪木氏に、ふと尋ねてみた。

 「猪木さん?奥の壁にある詩って、一体誰の詩なんですか?」

 新米記者の唐突な質問に、闘魂は笑顔で教えてくれた。

 「ああ、あれは一休和尚の詩なんですよ。知ってるでしょ?一休さん。私はこの詩が大好きでね。だから道場に飾ってるんですよ」

 そしてこう続けた。

 「しかし、そんなことを聞かれたのは初めてですよ。素晴らしい質問ですね」

 言葉の意図を汲めず返答に窮していると、ムフフという笑い声とともにさらに言葉が続いた。

 「みんなね、私が考えた詩だと思い込んでいるから、誰の詩なのかなんて聞いてこないんですよ。だから、みんなが聞きもしないことをちゃんと聞いて確認するというのは立派なことですよ。私もそうだけど、誰もがやらないことをやる。それが大事なんです」

 思いがけない称賛だった。

 「野口さん、あなた、きっといい記者になりますよ。ムフフ」

 身に余る光栄に、胸が熱くなった。

 引退試合を報じる98年4月5日付。「道」が道場訓であることは各紙が触れていた。だが、それに加えて一休作とまで書いていたのは私だけだった。

 あれから24年。残念ながら期待には応えられず、私はいい記者にはなれなかった。だが、あの日の言葉は、今も人生の大きな自信と誇り、そして心の支えとなっている。たとえお世辞であっても、私にとってはかけがえのない勲章だ。感謝の思いは尽きない。(元格闘技担当・野口 雄)

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