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アントニオ猪木さん レスラー人生最初の危機に発揮した「逆転の発想」 新日本草創期のピンチをチャンスに

[ 2022年10月1日 13:36 ]

今年7月、インタビュー中に笑顔を見せるアントニオ猪木氏
Photo By スポニチ

 1日に死去したアントニオ猪木さん(享年79)にとって、レスラー人生最初の危機が、新日本プロレスを立ち上げた1972年当時だった。

 3月の旗揚げ戦に参戦した日本人レスラーは、猪木さんを含めわずか6人。有力外国人レスラーのパイプは、ライバルのジャイアント馬場率いる全日本プロレスに抑えられ、観客動員で苦戦が続き、倒産は時間の問題と見られていた。

 猪木さんが最初に手がけたのは、当時タブーとされた「日本人対決」だった。力道山以来、日本マット界の主流は日本人VS外国人。猪木さんは国際プロレスのエースだったストロング小林と2度の死闘を繰り広げ、プロレスの新たな魅力を引き出した。この流れは後の藤波辰巳VS長州力、ジャンボ鶴田VS天龍源一郎など、黄金カードをいくつも生み出した。

 さらに猪木さんは、空手家やボクサーなど、ジャンルの違う格闘家をリングへ上げることに成功。当時の世界ヘビー級王者、モハメド・アリとの「世紀の一戦」が、その頂点だった。異種格闘技戦の数々が、後年訪れるPRIDEやK―1など、格闘技ブームの源流となっているのは間違いない。

 そして、既存のスターではなく、自前のスターを育てることに関しても、猪木さんのセンスは光った。タイガー・ジェット・シンやスタン・ハンセンなど、今では誰もが知るビッグネームも、当時は無名中の無名。猪木さんとの激闘を通じて、一流の仲間入りを果たした。

 だれも思いつかなかった「逆転の発想」で、ピンチをチャンスに変えた猪木さん。希代のレスラーだっただけでなく、マット史に残る名プロデューサーだった。

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2022年10月1日のニュース