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【元担当記者が悼む】ルスカの正義に応えなかった猪木さん 初の異種格闘技戦に見た“盗み方の美学”

[ 2022年10月1日 15:26 ]

ルスカと対決するアントニオ猪木(1976年)
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 手元に古ぼけた取材ノートがある。その中に猪木さんが、柔道家の“オランダの赤鬼”ウイリエム・ルスカと戦った際に私が書いた、もう赤茶けてしまっている新聞記事がスクラップされており、文中、敗れたルスカの「プロのトリックにだまされた」という悔しさあふれる言葉が記述されている。

 1976年(昭51)2月6日、東京・日本武道館。猪木さんがルスカ相手に敢行した初の異種格闘技戦は、猪木さんが仕掛けた殴る蹴るのけんか殺法にルスカが翻弄(ほんろう)された。最後はバックドロップ3連発をくらい、1972年ミュンヘン五輪で無差別級と重量級を制して2冠を誇示した世界最強の柔道家は「“殴る蹴る”は事前のルールで禁止事項だった。あれはスポーツマンのすることではない」とぶちまけた。

 日本プロレスを離脱した後の1972年(昭47)1月に新日本プロレスを設立。既成概念を打ち破るべく新しいコンセプトを求め、苦慮の末に異種格闘技戦に着目。「プロレスこそ最強」を旗印に空手家のウイリー・ウイリアムス戦、ボクシングのムハマド・アリとの“世紀の一戦”などの路線を実現させる。その出発点がルスカ戦であり、そこで猪木さんが何を見せたかったかは、今後を占う重大事項だった。

 ルスカの正義に応えなかった猪木さんは「ルパン三世」のような人だったと思う。怪盗アルセーヌ・ルパンの孫とされるルパン三世は、モンキー・パンチ作の漫画の題名であり主人公の名前。漫画の中でルパン三世は、読者をあざむき、最後の最後まで裏をかいてはほくそ笑み、悪党でありながら憎まれずに愛される魅力的な男だ。

 猪木“ルパン”にだまされ、してやられたルスカは再戦を要求。「今度はプロファイターとして戦う」と猪木イズムの中に引き込まれていく。勝ちを盗み取る「世紀の大泥棒」としての“盗み方の美学”こそが猪木さんが終始貫いた格闘美学だったろうか。
(スポニチOB・佐藤 彰雄)

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