バルボンさんを悼む もう一度聞きたかったアバウトな通訳「ブーマー、うれしい、言うとるよ」

[ 2023年3月18日 05:00 ]

90年、(右から)オリックス・上田監督、ブーマーと話す通訳のバルボンさん
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 初めてバルボンさんと会ったのは1990年1月だったと記憶している。オリックス担当になり、キャンプ地・沖縄入りする前だった。

 当時のオリックス・上田利治監督やブーマーが「チコ、チコ」と呼んでいたので「チコさん」と呼ばせてもらった。「チコ」とはスペイン語で「坊や」という意味だと後で知った。いま考えれば30歳も年上に対しては失礼な呼び名なのに、人なつっこい笑顔で「なに?なんや?」と関西弁で受け答えしてくれた。以来30年の付き合いで怒ったところを一度も見たことはない。本当に温厚な人だった。

 ブーマーの通訳として「ブーマー、うれしい、言うとるよ」が口癖だった。ホームランを打った時も、決勝打を放った時も、これが必ず最初のコメントだった。自打球を左足に当てたとき(のちに骨折が判明)のことだ。西宮球場で症状について質問され、神妙な顔で「ブーマー、うれしい、言うとるよ」と言った後、慌てて「違う、違う。悲しい、言うとるよ」と訂正。横で聞いてたブーマー本人が吹きだし、報道陣もつられて大笑いした。

 阪急で活躍したボビー・マルカーノさんが亡くなった90年11月には神戸市内の教会で開かれた追悼ミサに一緒に列席。「まだ、39歳やないか…」と号泣していたことも昨日のことのように思い出される。

 通訳を辞めた後も、少年野球の指導や球団スタッフとして、ずっと日本野球に携わってきた。オリックスの本拠地で試合がある時はバックネット裏に陣取り、選手の動きを見つめていた。久々に会うと「おう。おまえ、元気にしとるか。ハッハッハ」と笑ってくれた。最後に会ったのは新型コロナの感染が広がる前。もう一度、「ブーマー、うれしい、言うとるよ」のアバウトな通訳が聞きたかった。合掌。(元オリックス担当・古野 公喜)

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2023年3月18日のニュース