広島・新井監督 03年号泣秘話「よく我慢して使ってくださった」恩師に感謝 山本浩二氏と新春対談(1)

[ 2023年1月1日 05:00 ]

山本浩二氏(後方)の激励を受ける新井監督 (撮影・奥 調)
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 栄華を極めた広島のリーグ3連覇から、はや5年。過渡期にあるチーム再建のタクトは45歳の新井貴浩監督に託された。師と仰ぐ山本浩二氏(76)との新春対談。若き指揮官は、2023年シーズンの構想に触れつつ「腹を据え、覚悟を持って」リーグ制覇、日本一を…と誓う。広島を2期計10年率いたレジェンドは、豊富な経験を踏まえて「浩二流監督術」を伝授した。(取材・構成=江尾 卓也)

 新井監督(以下、新井) 明けましておめでとうございます。

 山本氏(以下、山本) おー、おめでとう。監督就任もおめでとう(笑い)

 新井 ありがとうございます(笑い)

 ――新井監督誕生は予想していましたか?

 山本 うん。いずれは務める立場なんやから。(15年に)復帰して何年(現役を)やったかいの?

 新井 4年です。

 山本 25年ぶりの優勝(16年)に尽力したし、4年間の活躍が、こういう形になるよな。

 新井 なにぶん、指導者経験がないので。

 山本 ワシだってそうだし、(野村)謙二郎もそう。現役時代の振る舞いなどで、監督の資質はあると球団が見たということよ。

 ――楽しみと不安が混在する心境ですか?

 新井 まさに混在していますね。秋季キャンプに行ってきたんですが、初めてのことばかり。やってみないと分からないというか。

 山本 (うなずく)

 新井 僕は浩二さんが監督の時(2次政権の01~05年)に育ててもらったので。まだ何も始まっていないんですが、自分がこういう立場になると、よくアレだけ我慢して使ってくださったな…と。

 山本 (笑い)

 新井 すっごい、感じます。浩二さんは一番の恩師ですし、浩二さんがいなければ自分はいない。監督の立場になると、なおさら感じます。しかも、あんな下手くそが(笑い)

 山本 本当、下手くそだったよの(笑い)

 新井 (大笑い)

 山本 他に(4番候補が)いなかったし、将来的なことも考えてな。でも、うまくなったよ。技術的にも。

 新井 自力で奪い取ったのではなく、機会を与えられ、育ててもらったので。僕には苦しかった思い出ばかりですが、浩二さんの方が、しんどかっただろうなって思いますね。

 ――開幕4番に指名した03年、不振が続いて7月12日の中日戦で6番降格。その時に呼ばれて話をされたとか。

 山本 お互いに苦しかったよ。いつ(4番を)外そうか、ずっと頭にあった。でも、もう少し頑張れ、もう少し…そういう気持ち。先を考えての起用だったからな。ただ、その時点ではもう代えようと思った。守備から帰ってきた時のファンの声が強烈やったろ?

 新井 はい。

 山本 ワシにも経験があるわけよ。地元で打てんかったら、どれだけヤジられたか。

 ――新井監督は今も記憶にある。

 新井 ベンチ裏の監督室に呼ばれ、新井、苦しいか?…と。はい…と答えた瞬間に涙が止まらなくなって。

 山本 そうそう。

 新井 分かる、オレもそういう道を通ってきたんだ…と。情けないのと、(4番を外され)ホッとする気持ちが混在していました。

 山本 ワシも全く同じ。でも、情けない気持ちを奮い立たせて頑張ってきたわけよ。

 ――新監督にどんなことを期待しますか?

 山本 ガムシャラにやるしかないよな。大変だろうけど、期待は非常に大きい。周りもみんな応援しとる。

 新井 ハードルがだんだん上がってきているように感じます(笑い)

 山本 それは、しょうがない。サッカー日本代表と一緒(笑い)

 新井 浩二さんのように腹を据え、覚悟を持って、頂点を目指したいと思いますね。

(2)へ続く。

 ◇新井 貴浩(あらい・たかひろ)1977年(昭52)1月30日生まれ、広島県出身の45歳。広島工、駒大を経て98年ドラフト6位で広島入団。08年にFAで阪神移籍。15年から広島に復帰。リーグ3連覇を果たした18年限りで引退した。05年本塁打王、11年打点王。16年セ・リーグMVP。08年12月から12年12月まで労組日本プロ野球選手会の第7代会長を務めた。引退後は19年からスポニチ評論家。右投げ右打ち。

 ◇山本 浩二(やまもと・こうじ)1946年(昭21)10月25日生まれ、広島県出身の76歳。廿日市高から法大を経て68年ドラフト1位で広島入団。強打の外野手として首位打者を1度、本塁打王を4度、打点王を3度、リーグMVPを2度獲得し、通算536本塁打は歴代4位。広島の監督を計10年務め、91年にリーグ優勝。08年北京五輪で日本代表守備走塁コーチを務め、同年に野球殿堂入り。13年の第3回WBCでは侍ジャパンの監督を務めた。

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