ロッテ・吉井新監督 野村監督の起用法「見習いたい」 選手信頼「失敗しても何度でも使う」

[ 2022年12月26日 05:30 ]

インタビューに応じたロッテ・吉井監督
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 今秋からロッテの指揮を執る吉井理人新監督(57)が、スポニチ本紙の単独インタビューに応じた。選手、コーチとして日米9球団を渡り歩いてきた経歴は特筆で、これまでの野球人生で学んだ恩師たちの長所を遠慮なく拝借する考え。新人から指導してきた佐々木朗希投手(21)への思いや、指揮官の特異なキャラクターにも迫った。(聞き手・横市 勇)

 ――現役引退直後の07年オフから取材を重ねてきました。監督就任おめでとうございます!監督業は楽しいですか。

 「楽しいかは分からないけど、やりがいはあるかな」

 ――引退直後には「指導者になりたくないが仕事がないから」と話していた。どんな心境の変化が?

 「ファイターズでコーチしていた姿も見ていたと思うけど、ほんまに嫌やった。選手の邪魔をせず、あまり教えないように、選手がやりたいようにと思っていた。そしたら結果が出たので、“あれ、この仕事、楽しいかも”と思い始めた。現役の頃は“解説者とコーチは絶対にやらない”と思っていたけど、ちゃんとしたやり方をすれば、やりがいのある仕事と感じた。そこからちゃんとコーチングを勉強した」

 ――どんな監督とも、チーム、選手のためならば、真っ向から意見をぶつけた。吉井監督は、吉井コーチのような存在が出てきてほしいですか?

 「出てきてほしいですね。意見する人がいないと、組織は固まった方向に行きがち。決めるのは自分なので、決まるまではジャンジャン言ってほしい。監督とぶつかったこともあるけど、決まったことには最善を尽くした。それでクビになったこともあるけれど」

 ――世間のイメージは温厚、ユニーク、理論派だと思いますが、若い頃は武勇伝もお持ちですよね?同僚とケンカしてお風呂で背負い投げしたり、コーチともケンカした。

 「ありますね(笑い)。米国に行ってから、物事に怒るのが損だなと思い始めた。瞬間的に来ることはあっても、静められるようになった。スイッチが入ると、広報が後始末するのが大変なので、そうならないように頑張っている。母親からは“お前はお調子者で、おっちょこちょいだから、気をつけなさい”といつも言われていた。その通りだなと思う。調子に乗っていたら注意してください」

 ――尊敬する恩師としてメッツ、ロッテ時代のボビー・バレンタイン監督、ヤクルトの野村克也監督、近鉄、オリックスの仰木彬監督、さらには近鉄時代の権藤博コーチ、メッツのボブ・アポダカ氏の名前も挙げていた。

 「アポダカさんはメジャーで最初の投手コーチですね。ボビーは、ちょっとおっちょこちょいで、それがベンチの雰囲気を良くしていた。記者の誘導尋問に引っかかって、よく怒っていた。自分が引っかかっているのにね。完璧な監督より、選手がクスって笑うような、ちょっと人間味がある人がベンチにいればいい。首脳陣が真面目に固まると、選手も硬くなってしまう」

 ――05年ロッテ担当時代は自分もよく怒られた。では、ノムさんのいいところは?
 「選手を信頼した起用法ですね。失敗しても、同じ選手を何度でも使う。選手のモチベーションは上がるので、見習いたい。采配は結構、正攻法だった。配球も基本はアウトロー。データを使うけど、“困った時に使え!それ以外はひらめきでいい”と。奇策ではなかった」

 ――近鉄では仰木監督、権藤コーチと一緒だった。89年リーグ優勝の際には、仰木監督の起用法に不満を持ち、胴上げにも参加しなかった。そんな時に味方になってくれたのが権藤コーチだった。

 「権藤さんはプロなんだから、何も言うことはない。どんどんいけ!結果は俺が引き受けると言い、リーダーだった。仰木さんは、声かけが上手。当時は“なんだ、あのオヤジ”と思っていたけど、あとで、意図が分かるんですよ。若い頃は、性格的にちょっと怒っているぐらいの方が、パフォーマンスが上がっていた。それを分かっていた。オリックスでも仰木さんと一緒にやった。最後に“あの時はなー”と全部タネ明かししてくれた」

 ――1年目から見てきた佐々木朗希の成長ぶりはどうですか?

 「今年は思ったよりも少し投げすぎたかな。イニング数は前年の30%増でいいと思ったけど、それ以上投げてしまった。でも、順調ですね。体力のレベルは思ったよりも早く上がっている。予想よりも足りないものは特にないが、もう少し変化球がうまいかなと思っていた。フォーク以外のね。そこは練習の余地が残っているかな」

 ――最終的には、どんな投手をイメージしていますか?

 「エースですよ。大リーグに行く前のダルビッシュみたいになってほしい。本当に、首脳陣は思考停止で見られる。9回の抑え投手だけ用意しておけばいい。練習の仕方もみんなにいい影響を与えていた。メジャーにも、行ってほしいですよ。日本だけで収まる投手ではない。米国でもエースになれる。ルール的に行ける時には行ってほしい」

 ――4月10日のオリックス戦で完全試合を達成した。次の17日の日本ハム戦でも、8回完全投球だったのに交代した。吉井監督ならば、あの場面はどうしますか?

 「6回で降ろしましたよ。完全試合をした次の試合なんか、絶対に負担が来ている。成長や故障のリスクを考えたら、長い回を投げさせたら壊しにいっているみたいなもの。記録は関係なく、6回ぐらいで代えていた」

 ◆吉井 理人(よしい・まさと)1965年(昭40)4月20日生まれ、和歌山県出身の57歳。箕島から83年ドラフト2位で近鉄入団。88年に最優秀救援投手を受賞し95年にヤクルト移籍。97年オフにメッツにFA移籍しメジャー3球団を経て03年にオリックスで日本復帰。07年途中にロッテに移籍し同年限りで引退。日本通算89勝82敗62セーブ、メジャー通算32勝47敗。08~12年と16~18年は日本ハム、15年はソフトバンク、19~21年はロッテでコーチを歴任し、今季はピッチングコーディネーター。14年から筑波大大学院の修士課程で学んだ。右投げ右打ち。

 【取材後記】就任から2カ月半がたつが、多くの球団関係者、選手が「吉井監督」でなく、「吉井さん」と呼ぶ。就任会見でも、吉井さんは「指導者と選手は対等でないといけない」と語っていた。今回のインタビューでもその思いがにじみ出ていた。

 吉井さんがコーチする球団で、長く担当を務めさせてもらった。15年前は、メディアの中でも救援投手への理解度が今よりも低かった。先発で炎上した投手について「中継ぎに降格か?」と吉井さんに聞くと、「中継ぎより、先発の方が上というわけではない。配置転換だよ」と教わった。「投手コーチはベビーシッター」が口癖だった。投手を気持ちよくマウンドに送り出すことが仕事だという。自分は年内でロッテ担当から離れる。吉井さんの野球を見たかったなという思いも、少しだけ残る。(横市 勇)

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