ソフトバンク・藤本監督 就任1年目のテーマは「育てながら勝つ」 攻めの野球で日本一の夢つかむ

[ 2022年1月1日 05:30 ]

色紙に「日本一」と今季の目標を書き込んだソフトバンク・藤本監督(撮影・岡田 丈靖)
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 夢の続きは――。ソフトバンクの藤本博史監督(58)は昨季Bクラス4位に沈んだチームの再建を託された。ファームでの豊富な指導歴を買われ、課題の世代交代に取り組む。同時にチーム内の競争を促し、育てながら勝つという命題に挑む。攻めの野球を理想に掲げ、目指すは12球団のトップ。念願だったという1軍監督に就任し、日本一という新たな夢を追い求める。

 1982年に南海に入団し、ダイエーなどで強打の内野手として活躍した藤本監督。98年に現役引退し、2011年から指導者に転身した。同年には2軍打撃コーチとして新人だった柳田らを鍛え上げた。1軍打撃コーチや2、3軍監督を歴任し、今季初めて1軍を率いる。

 新指揮官が理想に掲げるのは「攻める」野球だ。最大のライバルとなる昨季パ覇者のオリックスが、そのモデルを示した。「中嶋監督がやったような野球をしたい。例えば先頭打者が出て、犠打の構えからのエンドランとか」。攻めのバリエーションは多彩な方がいい。「日本シリーズでやったバスターとか、ああいうものを取り入れたい」。そこに堅実な作戦もミックスさせる。「攻める野球だから“犠打しません”ではない。絶対に犠打は必要」。臨機応変な采配で昨季Bクラス4位に低迷したチームを押し上げる。

 ホークスでの現役時代には、指導法、個性の違う監督たちのもとでプレーした。見習うべき点が多いことは分かっているが、自身はあくまでも藤本流を貫くつもりだ。

 「根本さんは放任主義、王会長は野球をよく知った方で強い野球をする感覚でした。杉浦さんはおとなしかった。田淵さんは僕を4番にした。ちょっと間違っとったんかなと思います(笑い)。それぞれ個性があったが人のまねじゃなく、僕は僕流の攻めるをテーマに戦っていけたら」

 2月の宮崎キャンプではチームの若返りを図るとともに競争意識を植え付ける。「若手若手と言われるが、若手で勝てるかというと難しい。ベテラン、中堅との競争を前面に出していきたい。競争に勝った者がレギュラーになる形がベスト。外国人助っ人も悪かったら(他の)いい選手を使いたい」と迷いはない。

 藤本監督の好きな言葉は「夢」。夢だった1軍監督となり、「次の夢は日本一です。いい夢を見たい」と話した。新指揮官の目に映っているのは日本一奪回。選手たちと同じ夢を追いかける。

 《ビッグボスと開幕戦》3月25日の開幕戦では、ビッグボスこと新庄監督率いる日本ハムとペイペイドームで対戦する。新庄監督は「俺たちが勝ったらひげをそるとか」とひげそりマッチを提案したが、藤本監督はこれを断固拒否した。昨年11月の秋季キャンプ中に日本一になったらひげをそるという公約を掲げた指揮官は「日本一になったら気持ち良くひげをそりますということであって、負けたからそるとかいうことはやりません。罰ゲームとか大嫌いですから」と話した。2人は現役時代に同じマンションに住んでいたことがある旧知の仲だ。

 【福岡移転後のホークス歴代監督】

 ▽杉浦忠(89年)南海時代の86年から指揮。89年はダイエー初代監督として59勝64敗7分けで4位だった。

 ▽田淵幸一(90~92年)就任1年目の90年は最下位。5位、4位と順位を上げるもAクラス入りを果たすことはできなかった。

 ▽根本陸夫(93~94年)高い手腕を発揮したフロントから転身するも、93年は最下位に終わり、94年は4位だった。

 ▽王貞治(95~08年)就任4年目の98年に3位で初のAクラス入り。99、00年にリーグ連覇を果たすなど、3度のリーグ優勝、2度の日本一に輝く。

 ▽秋山幸二(09~14年)就任2年目の10年にリーグ優勝。翌11年に連覇し、悲願の日本一。リーグV3度、日本一は2度達成。

 ▽工藤公康(15~21年)就任1年目の15年にリーグ優勝、日本一。パ制覇は3度もCSで強さを見せ、日本一に5度輝く。

 ※06年は森脇浩司が途中から監督代行。

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2022年1月1日のニュース