【内田雅也の追球】「おそれ」を巡る攻防 ジョーンズの格、紅林と太田の若さが「勇気」を生んだ

[ 2021年11月26日 08:00 ]

SMBC日本シリーズ2021第5戦   オリックス6-5ヤクルト ( 2021年11月25日    東京D )

<日本S ヤ・オ(5)> 9回無死、マクガフはジョーンズに勝ち越ソロを打たれる(撮影・大森 寛明)
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 5―5同点の9回表先頭、代打で打席に入ったアダム・ジョーンズがマウンドに目をやると、スコット・マクガフは目を伏せた。ゴルフで言うワッグルでバットをマウンドに向けると、また目を伏せた。

 第1戦の9回裏、逆転サヨナラにつながる四球となった時も感じていたが、マクガフはジョーンズをおそれているように見えた。現場で伝わる空気というのだろうか。その「おそれ」は記者席にも伝わってきていた。

 何しろ、大リーグでの実績が違う。ジョーンズは通算282本塁打、オールスター出場5度の大スターだった。マクガフが大リーグで投げたのは2015年の6試合だけで、勝敗なしの防御率9・45でしかない。格の違いというものか。今はクローザーと代打だが、元大リーガー同士である。その差をより強く感じているのかもしれない。

 マクガフが感じているのは、こわがる恐れ、そして敬い、かしこまる畏(おそ)れだろうか。バッテリー間で相対した際の振る舞いに心理的な優劣があらわれていた。

 「打者はまず投手をにらみつけろ」と言ったのは1920―30年代に活躍した伝説の大打者、ルー・ゲーリッグである。31、34年に来日した際に聞いた話を巨人や阪急で監督を務めた三宅大輔が本紙63年11月21日付で書いている。「投手がにらみ返してきたら、さらににらみ返すのだ。先に目をそらした方が気合において負けである」

 古今東西変わらぬ勝負の姿勢だ。ジョーンズがにらめば、マクガフは目を伏せたのだ。

 初球カッターは遠く低く、直球は高めに抜けた。2ボールから真ん中高めの棒球直球を見事に仕留め、左翼席へ、ライナーの決勝本塁打にした。

 人間的な競技と言われる野球では、この「おそれ」といかに付き合うかが大きなテーマとなる。

 勝ったオリックスだが投手陣は必要以上に相手打線をおそれていた。2回裏の山崎福也、8回裏のタイラー・ヒギンスは先頭打者への四球から手痛い失点を重ねた。村上宗隆の本塁打も、5球連続、外角一辺倒の配球で踏み込まれ、反対方向へ運ばれた。

 掛布雅之(現阪神レジェンドテラー=HLT)が1998年に打撃論を語った『打つ~掛布雅之の野球花伝書』(矢島裕紀彦著・小学館文庫)の第1章は<恐怖>にあてられていた。

 米野球記者レナード・コペットが書いた『新・考えるファンのためのベースボール・ガイド』もまた、第1章・打撃は<恐怖とは打撃の根本的な要素である>から始まる。<その恐怖は本能的なものだ。打撃という行為は情緒的な矛盾に満ちている。楽しくあると同時に危険なのだ。打者がボールを強く叩くには後ろの足を踏ん張り、前の足を踏み込まねばならない。しかし、自己防衛本能が打とうとするボールから体を遠ざける>。

 胸元、膝元の内角球で打者の恐怖心を呼ぶ攻防が重要なのだ。

 その点、7回表に一時勝ち越しの得点をもぎ取った19歳・紅林弘太郎、20歳・太田椋の短長打には「おそれ」を知らぬ若者らしさがあった。石山泰稚のフォーク、スライダーに踏み込んで食らいついた。だから監督・中嶋聡は「チームに勇気を与えてくれた」と2人を称えたのだ。「おそれ」を去るには勇気がいる。

 舞台は神戸に移る。あの震災があった1995年を思って感慨深い。いいシリーズになった。 =敬称略= (編集委員)

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