「希望の星になりたい」阪神・岩田の立派な16年 同じ病気の患者のためにも闘志を燃やしてきた

[ 2021年10月2日 05:30 ]

引退会見でこらえきれず涙を流す岩田稔
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 阪神の岩田稔投手(37)が1日、西宮市内で引退会見を行った。タテジマ一筋16年のキャリアに終止符を打った左腕は、涙を流して支えてくれた家族に感謝。高校2年時に発症した1型糖尿病患者として、同じ病気の人々にも勇気や感動を与えてきた背番号21が、悔いや後悔を残すことなく完全燃焼でユニホームを脱ぐ。球団内では引退セレモニーが検討されている。

 後悔も、悔いも、口にしなかった。岩田稔は、混じりっ気のない言葉で決断に至った経緯を明かした。

 「4、5年前ぐらいから、そろそろかなという思いもありながら過ごして。今年の最初にコロナにかかって、体が元気になっているんですけど、気持ちの方が昔ほど燃えてくるようなものがなくなってきていて」

 近年は1軍定着できず、今季は中継ぎにも転向した。「この気持ちでタイガースのユニホームを着てプレーするのは失礼。ユニホームを脱ぐことに決めました」。気づいた時には、完全燃焼していたのかもしれない。走りきった37歳に残った唯一の感情。支えてくれた家族に話が及ぶと、もう止まらなかった。

 「(1番に伝えたのは)妻です。そして大切な家族に…。引退という言葉を伝えた。こうやって長いことできたのも、家族の存在があったからです」

 1男2女の父はマウンドで体を張ってきた。高校2年の冬に発症した1型糖尿病。アスリートにとっての壁を、腕を振る理由に変えた。「入団の時にも言ったんですけど、患者の希望の星になれるように。それがないと、こんなに長いことはできていない」。自分の背中に勇気付けられる存在がいる。それだけで幾多の難局に立ち向かうことができた。

 胸に刻む「死ぬ事以外はかすり傷」の言葉を体現するように、10年の左肘手術も乗り越え、ローテーションの一角として奮闘。通算60勝には「もっとできた」と納得することはなくても「楽しいこと苦しいこと、たくさん経験させてもらった野球に感謝です」とすがすがしく振り返った。

 「“希望の星”になりたいという言葉を発したので。その言葉に負けないように、諦めない気持ちを見せていきたかった。16年間でしたが、少しは証明できたかなと」。残した足跡は色あせない。(遠藤 礼)

 《恩師、同級生もねぎらい》岩田は、恩師である大阪桐蔭の西谷浩一監督に引退の報告した際にかけられた言葉も明かした。「“報道で見たよ。ようやったな。正直、病気もあったし、こんなに長くやってくれると思わんかった。大万歳や!”と言うてくれました」。また高校の同級生、西武・中村とも会話を交わしたと言い、「剛也(中村)には16年間、電話とかしたことなかった。“先に引退するわ”と言ったら“お疲れさん”と言ってもらって。どでかいホームランも打たれましたし良い思い出です」と涙ながらに振り返った。

 ◇岩田 稔(いわた・みのる)1983年(昭58)10月31日生まれ、大阪府出身の37歳。大阪桐蔭、関大を経て05年大学生・社会人ドラフト希望枠で阪神入り。3年目の08年にプロ初勝利を含む10勝を挙げ、翌09年には第2回WBC日本代表に選出。日本の大会2連覇に貢献した。自身も闘病中の1型糖尿病の啓発、支援活動を展開する姿勢が評価され、13年に若林忠志賞を受賞。1メートル79、97キロ。左投げ左打ち。

 ▼阪神・嶌村聡球団本部長 彼自身の強さ、あとは自分のことより周り、1型糖尿病患者の皆さまへの勇気を与えるとか。そういうところの強さがあってこそかなと。(引退試合などは)優勝争いしている状況ですので、頭に入れながら検討しながら、どのような形が最善なのか相談しながらやっていきたい。

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