高校野球の名将 若生正広さん死去、70歳 東北など指揮、ダルビッシュら育てる

[ 2021年7月28日 05:30 ]

センバツ2回戦で大阪桐蔭を下し、グラウンドを見つめる東北・若生監督(右)とダルビッシュ
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 東北高(宮城)などで監督を務めた若生正広(わこう・まさひろ)氏が27日午前6時18分、肝細胞がんのため、宮城県仙台市泉区の自宅で死去した。70歳だった。仙台市出身。

 若生氏は93年に母校の東北高監督に就任。03年夏の甲子園ではダルビッシュ(現パドレス)を擁して準優勝に導いた。プロから注目され、体が成長段階だったダルビッシュには強制的に練習させることはなかった。メジャーでもトップクラスの投手になった右腕は当時を振り返り「高校時代、体が弱かった自分を守ってくれた人だった」と感謝していた。

 東北高のエースとして活躍したヤクルトの雄平も「厳しい中にたくさんの愛情があり、大きく育てていただいた。まだまだ厳しい言葉や助言を頂きたかった。もうお会いできないと思うと、寂しいです」と悼んだ。

 若生氏は05年から九州国際大付(福岡)で監督を務めた。07年には難病の黄色じん帯骨化症を患ったが、闘病しながら指揮を執り続け11年のセンバツで準優勝した。15年には指導者のスタートを切った埼玉栄の監督に復帰し、19年に勇退。「長い監督人生、悔いはない」と話していた。

 その後は自宅のある仙台に戻り、少年野球などを指導する教え子たちを見守った。春夏合わせて甲子園に11度出場した名将。東北高で1学年下のダルビッシュとバッテリーを組み準優勝した元巨人の佐藤弘祐氏(35)は「引退して何年たっても、教え子の名前と顔を覚えていて気にかけてもらった」と感謝した。厳しさの中にも愛情を忘れない指導者の鑑(かがみ)でもあった。

 ◇若生 正広(わこう・まさひろ)1950年(昭25)9月17日生まれ、宮城県出身。東北では3年夏にエースとして甲子園出場。法大から社会人野球のチャイルドに進み、87年に埼玉栄の監督に就任。その後は東北、九州国際大付の監督を歴任した。甲子園には春夏合わせて11度出場し、通算成績は16勝11敗。

 ▼日本ハム清水(九州国際大付3年時の14年夏に甲子園出場)寂しいの一言。1年生から試合に使ってもらい、プロになれたのも監督さんのおかげ。熱く、心のある人だった。

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