古田敦也氏 メガネのせいでドラフト指名漏れ プロ入りのために考えた意外な秘策とは

[ 2021年6月15日 06:15 ]

1989年トヨタ自動車時代の古田敦也捕手
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 野村ID野球の申し子として数々の好成績を残し、ヤクルトで選手兼任監督も務めた古田敦也氏(55)が、14日深夜放送の関西テレビ「こやぶるSPORTS超」(月曜深夜0・25)に出演。ドラフト会議での悔しい思い出を語った。

 古田氏は立命館大から社会人野球のトヨタ自動車を経て、ドラフト2位で89年にヤクルトに入団。順風満帆と思われがちな野球人生だが、ドラフト会議では忘れられない悔しさがある。立命大時代に、ある球団から「必ず指名する」と声をかけられたが、まさかの指名なし。理由は「メガネをかけている」だった。

 当時を「きつかったですよ」と振り返った古田氏は、「お祝いムードがすでに流れているんですよ。その前の1週間くらい、ドラフト特集で新聞やテレビでも特集されて、大学も祝賀会を用意しているし、実家も用意して近所の方が集まってきている」と、指名は当然の流れだった。ところがふたを開けたら、指名なしに終わり「恥ずかしいという気持ちが強かった」という。特に、大学の選手寮の前の広場では「宴会」の用意も整っていたといい、「僕が帰ってきたら、みんな片づけをしていたけど、僕に掛ける声がないから、みんな見ちゃいけないみたいに」と、視線を外されたこともあった。

 当時はコンタクトレンズの着用を勧められたこともあったが、「乱視が強くて、メガネでないと矯正できない」という理由があった。「メガネをかけているやつはダメだ、と言われたけど、こっちはメガネをかけないとできないし、悔しさが先に立った」。だからこそ、トヨタ自動車に入社した際に「一番最初は、メガネは言い訳にできない。メガネをかけないとできないので。だから自分のできることは、メガネをかけても、同年代のやつより誰よりもうまいと証明しなければいけなかった」と、強い信念を掲げたという。

 分岐点となったのは、大学卒業した次の年にソウル五輪があったこと。そこで古田氏が考えたのは「(プロに行くために)五輪メンバーに選ばれないといけない」として、「ジャパンの監督が誰か、バッテリーコーチが誰かと調べて、野球観を調べた。元気があって、国際大会の環境の悪い中でもへこたれない、あきらめないやつが好きだ、と聞いた」と分かり、すぐに実行。何十人と来る選考会で「一生懸命、声出して野球やった。ボール回しでも“ヤー”とか言いながら」と、“ID野球の申し子”とは思えない元気をアピールした。

 おかげで、ソウル五輪では銀メダル獲得に貢献し、今がある。「選ばれるには、戦うフィールドを与えてもらってナンボなんで。監督の望む選手をやらないと試合に出してもらえない」と古田氏は振り返り、メガネでドラフト指名漏れしたことも「あのまま、プロの入っても、良い選手にはなっていない」と、屈辱がバネになったことをしみじみと語った。

 番組の最後に、古田氏は「誇れる記録」を問われた。プロ2年目の1991年には捕手ながらも首位打者を獲得。さらに93年にはいまだに破られない盗塁阻止率・644の金字塔を打ち立てたり、大学社会人を経ての初めての2000安打達成など、数々の勲章があるが、古田氏は「記録というよりは、メガネをしたまま続けてこられたというのが、価値があったのか、と。今、目が悪い子が多いんですよ。いろんな人に古田さんがメガネ掛けているから、頑張れましたと言われて。目が悪くても、ここまでできた。できるということを証明できたので、これは価値があったかな、と思います」と結んでいた。

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