桑田真澄氏「さようなら」、プロ21年目の06年 一度は巨人に別れ告げメジャー挑戦

[ 2021年1月12日 05:33 ]

06年11月23日、「ジャイアンツファンフェスタ2006」でファンにあいさつする、桑田
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 巨人の今季コーチングスタッフに、OBの桑田真澄氏(52)が入閣することが11日、分かった。近日中にも球団から発表される。背番号18を背負い、巨人のエースとして活躍した同氏。06年の一連の退団劇は世間を驚かせた。

 プロ21年目だった06年9月23日、巨人の球団公式HP内にあった自身のコラム「LIFE IS ART 18」が更新された。2軍調整が続くなかで先発予定だった24日のイースタン・湘南戦(現DeNA)の前日。「ジャイアンツのユニホームでマウンドに立つのはおそらく最後」とつづった。同HPは読売新聞東京本社のメディア戦略局(当時)が作成。桑田のコラムについては一切手直しせず、そのまま掲載することになっていた。

 24日。ジャイアンツ球場での登板を終え、退団表明までの経緯を説明した。「6月から2軍でスタンバイしてきたけど、登板がない。チームの戦力じゃないと自分で判断した。来年も(1軍での登板は)難しいですし(巨人での登板は)最後だろうと思い、ファンに伝えたかった」。同年は4月29日に出場選手登録を抹消された後、1軍に呼ばれることがなかった。「ジャイアンツとケンカしたとか、嫌になったとかじゃない。選手としての立場があるので、こちらがどうこう言うのは失礼。巨人の18番を汚さないように自分を鼓舞してきたし、精いっぱいやってきた。後悔はない」。突然の退団表明と一連の行動に後日、当時の滝鼻卓雄オーナーは「退団自体は尊重しようと思う。ただもうちょっとちゃんとしたあいさつができなかったのかな」と苦言を呈した。

 10月5日の横浜(現DeNA)戦後、東京ドームの右翼席に幅約10メートルの横断幕が掲げられた。「桑田さん最後にここで投げて」「僕らの願いを叶(かな)えて下さい」。同年の本拠地最終戦となる10月10日の中日戦での登板を求めるファンの行動だった。だが、桑田氏は「Aクラスもかかっている。チームが第一」と固辞。最終的に11月23日の「ジャイアンツファンフェスタ2006」で3万6291観衆を前に退団のあいさつを行った。

 「きょう限りで、21年間ともに歩んできた18番にお別れすることになりました。
 球団関係者、歴代の監督、コーチ、チームメート、裏方さん、大勢のライバルたち。そしていつも、心から応援して下さったファンの皆さま…。
 たくさんの人たちに支えられながら、全力で自分自身と戦い、このエースナンバーを守ってきました。
 18番、桑田真澄の野球は、心の野球です。
 今はただ、感謝の気持ちしかありません…。
 さようなら。
 そして21年間、本当にありがとうございました」

 愛した巨人との決別。残り27勝となっていた通算200勝にも意欲は残っていた。「目標に向かって努力するのが男の美学。達成できなくて辞めるかもしれないけどそのプロセスが大事」。移籍先について国内に加えて視野に入れていたのが大リーグ球団。12月19日(日本時間同20日)、パイレーツとは19日(日本時間20日)、元巨人の桑田真澄投手(38=当時)とマイナー契約で合意した。

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