【阪神新人連載】栄枝が悩んだ末に…周囲の後押しで立命大進学決め素質開花

[ 2020年12月20日 11:00 ]

牙を研ぐルーキー2020 4位・栄枝裕貴捕手(下)

進路について悩んだ高知高時代。恩師の鶴の一声が立命大進学へ導いた(提供写真)
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 野球人生の岐路に立たされていた。高知高では1年秋から正捕手の座を獲得。チーム内競争を勝ち抜き順風満帆な日々に見えても、裕貴は自身の進路について悩んでいた。

 「もう野球はいいなと思った。弟も妹もいたので、働こうと思っていた」

 野球選手としての思いよりも、3弟妹の長男としての思いが上回った。厳しい練習に明け暮れる中で、「高校まで」という考えもあった。2年の秋季大会前に行われた進路相談では、進学ではなく就職を希望した。家族にも思いを伝え、母・真実さん(42)も理解を示した。公務員試験用にと、参考書を何冊も購入してくれた。

 中村敏彦部長(当時)から大反対されたのは、そんな時だった。「よく考えろ。まだまだこれからだろ」。同部長は立命大の野球部OB。裕貴が持つ捕手としての能力、高い身体能力を鑑み、その将来性を高く評価していたのだろう。大学で野球を続けるよう、背中を押してくれた。

 「同学年のチームメートは進学する感じでしたし、自分もこのまま終わるのはもったいないと思った」

 悩み抜いた末に出した結論は「進学」だった。この決断を周囲も尊重し、サポートしてくれた。同部長の母校が立命大だったこともあり、3年春には同大のキャンプを見学。後にDeNAへ入団する東、坂本といったトップクラスの選手が在籍しており、高いレベルを間近で感じたことで意識も変わった。

 「今まで以上に高いレベルの選手ばかりで、もう一度やるぞという気持ちになった」

 実直な性格だったゆえに、芽生えた悩みだった。島田達二監督(当時)は言う。「真面目で現実を見ながら行動する子だった。だから進路では迷いもあったと思う」。ただ、ひとたび腹をくくれば、目標を実現するまでの行動力は目を見張るものがあった。

 3年夏の大会は準々決勝で中村に敗れた。念願の甲子園出場はならなかったが、立命大に進学すると、より一層、素質は開花。大学日本代表候補に選出されるまでの捕手に成長した。

 中村部長の“鶴の一声”がなければ、タテジマのユニホームに袖を通すことはできていなかった。悩んだ末の選択は間違っていなかったと証明した。 (長谷川 凡記)

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