宮井勝成さん死去 選手の能力を引き出し、力でねじ伏せる野球 資質を見抜く眼力に定評

[ 2020年8月7日 13:52 ]

早稲田実業OB会で笑顔の宮井勝成氏と王貞治氏(2004年撮影)
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 早稲田実業、中央大学の野球部監督として活躍した宮井勝成さんが7日午前2時23分、肺がんのため東京都三鷹市の病院で死去した。94歳だった。

 細かいことは気にしない豪放磊落な性格だった宮井氏は、指導面でも細かいことは言わなかった。選手の能力を引き出し、力でねじ伏せる野球。特に選手の資質を見抜く眼力には定評があった。

 どこを鍛えれば、どこまで伸びるか。選手一人一人の能力を見極め、それぞれの個性を生かして育てる。その指導は「今」ではなく、選手の「将来」を見据えたものだった。早実の王貞治(現ソフトバンク球団会長)、中大で小川淳司(現ヤクルトGM)や高木豊(現解説者)ら。宮井氏の指導で開花し、プロで活躍した選手は数知れない。育てるために大学1年春のリーグ戦から使い続けることもある。そうして能力を引き出した選手の力を結集。1967年の全日本大学野球選手権で初優勝した時はサインは盗塁だけで、まさに力で圧倒して勝ち取った日本一だった。

 面倒見がよく、選手の就職の世話にも力を注いだ。手厚く育てたからだろう。各年代の卒業生たちのことを克明に覚えていて、OB会などの集まりで一人一人に声を掛ける。教え子たちが「凄い記憶力」と驚くほどで、そんな宮井氏のことを教え子たちは親しみを込めて「オヤジ」と呼んだ。文字通り、父親のような存在だった。

 野球への情熱は年を重ねても衰えが全くなかった。今春リーグ戦は中止となったが、昨年までは春秋のリーグ戦で神宮球場へ通っていた。都内の自宅から一人で電車に乗ってくるほど元気で、時には東京・八王子の中大グラウンドにも顔を出していた。今年1月に開かれた早実の56年センバツ優勝メンバーを中心とした「紫紺会」の新年会でも元気な姿を見せていた宮井氏。突然の訃報に、惜しむ声が挙がっている。

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