元ヤクルト・鵜久森淳志さん ソニー生命に就職し、ライフプランナーとして第2の人生

[ 2020年5月31日 10:00 ]

自宅でテレワークにて仕事をする元日本ハム、ヤクルトでプレーした鵜久森氏
Photo By 提供写真

 新型コロナウイルスの感染拡大予防に最大限の配慮をしながら、6月19日の開幕を予定している日本球界。かつて同じ舞台で汗を流した者たちも、同じように新型コロナウイルスの影響を受けながら仕事に邁進している。日本ハムとヤクルトでプレーし、昨年1月からは「ソニー生命保険株式会社」のライフプランナーとなった鵜久森淳志さん(33)に、電話で話を聞いた。

 ――新型コロナウイルスの感染拡大でリモートワークも増えた。現在の就業状況を教えてください。
 「3月後半くらいから在宅勤務になりました。まだ就職して2年目の僕の場合、まだまだお客様は少ないですが、今は担当させて頂いているお客様のケアが主な業務となっています」

 ――具体的には?
 「電話での現状確認がメインの仕事になります。『体調はいかがですか? 体調に関わらず生活面でコロナは大丈夫ですか? マスクはありますか? 私たち保険会社といたしましては、今こういうことができます』といった感じで、ご連絡を入れさせて頂いています」

 ――顧客の反応は?
 「何のために保険に加入をして頂いているかといえば、何かあったときのため、になります。ですから、例えば、入院が必要にもかかわらず、医師の指示により自宅にて療養をした場合も入院給付金のお支払対象になります。そういったお話をさせて頂くと『それは忘れていた。ありがとう』と言ってくださるお客様もいます。そういった意味も含め、もう一度、確認をさせて頂いています」

 ――その他の時間は?
 「通常業務が再開したときに備え、資料の作成や勉強をしています。ありがたいことに、お客様やこの仕事を通じて知り合った方々から逆にお電話を頂くこともありました。先日も『マスクは大丈夫?』」と心配をしてご連絡をくれた方がいました。これは、本当にありがたいことです。人と人とのつながり、助け合いというものをあらためて感じました」

 ――少し前の話ですが、なぜソニー生命に入社を?
 「15年に日本ハムを戦力外になったときにトライアウトを受けました。その会場にソニー生命柏支社の落合現支社長がいらしていて、僕に声をかけてくれました。野球しか知らないでずっとやってきて、トライアウト会場には一般の会社の方もいるんだなということに驚きました。もちろん会社の名前は以前から知っていましたが、ちゃんとというか、詳しく会社を知ったのはそのときですね。当時は結果的にヤクルトに拾ってもらうことができたので野球を続けることになりましたが、落合支社長はその後も定期的に連絡をくださっていました」

 ――その後、18年オフにヤクルトを戦力外。
 「あのときもトライアウトを受けましたが、ダメでした。落合支社長との定期的な連絡は続けさせて頂いていたので、現役引退を決めた後には相談に乗ってもらいました。何度かお話をさせてもらいましたが、『ウチに入れよ』とか『ウチはどうだ?』とかは一度も言われませんでした」

 ――そんな中、ソニー生命への入社を決めた。
 「ソニー生命の柏支社は落合支社長を中心にセカンドキャリアに非常に力を入れていました。落合支社長自身ももともとラグビーをやられていた方で、アスリートに関する理解がある方でした。野球しかやってこなくて社会に出ることになり、少なからず不安もありました。でも、お話を伺っていると野球だけしかやって来なかったような自分でも受け入れてもらえるのではという思いがありました。さらに、元ロッテの同級生の青松や元楽天の福田も入社して働いていました。青松とは現役時代から親しかったので、実際に青松にも会社のことを聞いたら、すごくいい環境だなと思えました。それが一番の決め手です」

 ――他には?
 「日本ハムを戦力外になりヤクルトに拾ってもらってから、プレーをする中で“人のために”とか“恩返し”といった思いが芽生えてきました。それは社会に出るときも同じでしたし、無知な自分としては純粋に社会のしくみや経済のことを知りたかった。それと、自分が社会で頑張ることでアスリートの価値を高めたかった。こういう部分も全てあると感じられる会社でした」

 ――実際に働いて。
 「入社は19年の1月でした。仕事の内容は生命保険の販売です。ライフプランを通じて、保険を考えて頂きます。最初は資格をとらないと生命保険を扱うことができないので、まずはその勉強をしました。2月から実際に営業をできるようになるために、1月の一カ月間をかけて研修してその中で勉強しました」

 ――パソコンの操作は?
 「全くできなかったですね(笑)。ただ会社の雰囲気がすごくいいので、初歩的な分からないことでもどんどん聞ける環境がありました。普通だったら『こんなことも分からないの?』と思うようなことでも、親切、丁寧に教えてくれました。他に苦しんだのは“言葉の使い方”です。人と話すにしても、メールを送るにしても、資料を作成するにしても。挨拶文だったり、丁寧な文章だったり、全然分かりませんでした。実際に自分で文章を打って上司の方にみてもらい、指摘されたところを修正してという作業を何度も繰り返しましたね。学びやすい環境は今でも変わりません」

 ――最初の契約は?
 「3月ですね。やっと始まった、これが第一歩だと思いました。ずっと不安でした。周りもどんどん仕事をしていて焦りもありました。最初は誤った説明をしてはいけないので、上司の方と一緒に契約に行くんです。横で見ていて訂正や、その後に助言をくれました。お願いをして、色んな場所に一緒に行ってもらいました。青松の存在も大きくて、たくさん相談に乗ってもらいました」

 ――今の仕事のやりがい。
 「“生活の一部”に携わらせて頂けることです。お客様の生活に寄り添って、一緒にライフプランを考えます。人生は“出口”が大事だと思います。その人にあった契約になっているのかどうかが重要です。保険に入ることは簡単ですが、最終的に元気に過ごすことができたとしても『良かった。安心して暮らせた』。逆に、万が一、何かがあったとしても『良かった。入っていて』。そう思ってもらえるような出口を、一緒に考えていきます」

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