【夢のご当地オールスター・千葉編】俺たちがいチバん!巨人・阪神の「ミスター」輩出した野球王国

[ 2020年5月16日 09:00 ]

現役時代の巨人・長嶋茂雄
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 「4番サード」が代名詞となっている選手が日本球界に2人いる。1人は「ミスター」長嶋茂雄(佐倉一)。そしてもう1人は「ミスター・タイガース」掛布雅之(習志野)。このポジションに誇りを持ち、ファンを熱くさせるプレーを演じた2人が、千葉ドリームチームでコンビを組んだ。

 掛布は大先輩を敬愛し、長嶋は後輩の成長をずっと見続けていた。最初の接点は掛布のプロ初安打のときだった。74年5月21日の巨人戦(後楽園)。9回に代打で高橋善正から左中間を破る打球を放った掛布は二塁で止まることなく、三塁を狙った。そこに長嶋が守っていたからだ。

 結果は憤死。それでも掛布にとっては「いくつだ」「19です」「若いな。頑張れ」とグラウンドで交わした言葉が最高の思い出となった。長嶋はこの年、引退。ともにプレーした記憶は何にも代えがたいものとなった。

 79年12月、掛布の結婚披露宴に招かれた長嶋は「君には巨人戦で数多くのホームランを打たれて悔しい思いもしたが、君は千葉の後輩だ。悔しいが、誰にも負けない大きな拍手を、心から君のホームランには贈っている」と巨人の監督としてスピーチしている。

 また、スランプだった掛布が、長嶋に電話で助言を求めたこともあった。「バットがあったら振ってみて」と言われ、電話の前で素振りをすると「無心で振れ」。振り続けると「そうだ。今のスイングだ。忘れるな」という電話越しの指導で、調子が戻ったという話も知られている。

 今回のチームでは三塁に本塁打王を3度(79、82、84年)獲得した掛布。長嶋は監督兼任で「4番DH」という布陣を軸にしてみた。ともに習志野OBで中日で2062安打した谷沢健一とロッテで2000安打の福浦和也もメンバー入り。浦安市出身の阿部慎之助(安田学園)も、父親が習志野で掛布とともにクリーンアップを組んでいた間柄だ。

 二塁の選考は激戦だった。天才的なバッティングセンスの持ち主だった篠塚和典(銚子商)か、阪神のヒットメーカーで元監督の和田豊(我孫子)か。ファンの声も二分されるはず。ここは通算安打数で上位、1739安打の和田を先発メンバーに入れた。

 外野の残る1枠も千葉市出身の高橋由伸(桐蔭学園)と丸佳浩(千葉経大付)の巨人勢の争い。こちらも甲乙つけがたいが、現役に期待ということで丸を選出した。広島では16年からリーグ3連覇、巨人でも昨年リーグ優勝。“ひとり4連覇”で、今季に5年連続のビールかけを誓っている。

 投手陣は143勝で現楽天GMの石井一久(東京学館浦安)を中心に、城之内邦雄(佐原一)、鈴木孝政(成東)、小宮山悟(芝工大柏)でローテを編成。バランスが取れたチームを長嶋監督が引っ張る。球団マスコットを、千葉県船橋市在住設定ながら県や市からは非公認のご当地キャラクター「ふなっしー」に依頼し、応援を盛り上げてもらおう。(鈴木 光)

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