秋山翔吾、15年10月1日シーズン安打新記録 亡き父と約束した舞台で、父として刻んだ「216」

[ 2020年4月29日 05:45 ]

パ・リーグ   西武1-4オリックス ( 2015年10月1日    京セラD )

シーズン最多安打数新記録を達成し215本パネルを持つ秋山
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 【忘れられない1ページ~取材ノートから~】レッズの秋山翔吾外野手(32)が西武時代の2015年10月1日、オリックスとの同年最終戦で2安打を放ち、シーズン216安打のプロ野球新記録を樹立した。その前日に本紙が独自で入手した写真がある。秋山が12歳の時に40歳で他界した父・肇さんが写る一枚だ。取材ノートをひもとくと、前人未到の偉業の裏には、亡き父への思い、そして自身が父となった自覚が隠されていた。(神田 佑)

 よく似ているな、というのが第一印象だった。真っすぐに前を向き、実直そうな人柄がうかがえる。秋山の父・肇さんの写真は、取材をまとめたパソコンのフォルダーに大切に保管してある。

 秋山は10年ドラフトで西武から3位指名を受けた際、こう言った。「父と約束をした。プロ野球選手になることが恩返し」。高校球児だった肇さんは腰痛に苦しみ、プロを諦めた。「夢の続き」を託された秋山は幼稚園で体操教室と水泳を掛け持ちし、小2から陸上も学ぶ。プロ野球選手という夢をかなえるため、肇さんが考案した長期的なプランだ。総合的な運動能力を高め、小5でようやく軟式野球チームに入団。いよいよ本格的な野球指導を受けようとしていた矢先、父は翌年に胃がんで他界した。幼少時から一度も褒められたことはない。厳しい父親だった。

 プロ5年目の15年10月1日。同年最終戦だったオリックス戦で6回に三塁内野安打して、10年に阪神・マートンがつくった214安打の最多記録を更新。9回に左中間三塁打を放ち、シーズン216安打のプロ野球新記録を樹立した。

 後日の取材ノートを開くと、こんな談話がメモされている。前年の14年11月18日に第1子の長男が誕生。「子供を見ていると小さなことが気にならなくなった。子供は思うままに泣き、思うままに笑う。僕が気にしていることなんて小さなもの」。そのオフに打撃フォームを劇的に変えた。立てていたバットを自身の方に寝かせて担ぐ。ヘッドの出がスムーズになり安打製造機と化した。打席で一歩前に立つと「全く景色が違う」と話す男にとって、「別人」になるような大転機だった。

 メンタル面でも大きな変化があった。それまでは物事を深く考えすぎるタイプだったが、長男の誕生でガラリと変わった。感情をむき出しにして突然泣きだしたり、笑ったりする様子は新鮮であり、驚きでもあった。「深く考えすぎても仕方がない」と開き直ることを育児から学び、オープン戦から全く波がなく安打を積み重ねた。

 大ブレークした同年は記録ラッシュだった。報道陣が大挙して押しかけ、シーズン終盤まで試合前練習後にロッカーの入り口で足を止め、丁寧に取材対応をしていた。野球理論を聞き、原稿にする。時々「新聞に書いたことと食い違いはなかったか」と確認し、また取材した。書き方について指摘されることもあった。記事は全て目を通している印象だった。

 愚直な性格だからこそ重圧は大きかったろう。試合が進むにつれ「新聞に書かれるから、年間何安打ペースか計算の仕方を覚えてしまった」と笑いながら皮肉を言われたこともある。負け試合の後は「今日は僕は答えません」と言われた。だが駐車場まで食い下がると、車に乗り込む直前で足を止めてくれた。

 父と夢見たプロの舞台で樹立した大記録。同年の取材ノートには親子の絆や夢に対する思いの強さが分かるエピソードが並ぶ。生後数カ月から指を反らすようにされたのは、プロで通用する「大きな手になるように」という父の願いが込められていたという。これからも父への感謝の思い、そして父となった自覚を胸に、夢を追い続けるだろう。

 《節目のたび律義にあいさつ、小学生時代に在籍湘南武山フェニックス》父・肇さんの写真は、秋山が小5の終わりから約1年間在籍した「湘南武山フェニックス」の田村仁総監督の取材の過程で、見せてもらった物だった。

 もう1枚。西武黄金期をほうふつさせる同チームの水色ユニホームを着た秋山少年の写真もあった。現在の面影があるかわいらしい表情。田村総監督によると「とても正義感が強くて、みんなから慕われていた」という。卒団後も、節目のたびに律義にあいさつに訪れている。同チームのホームページには「秋山翔吾選手が遊びに来てくれました!MLBシンシナティ・レッズ 秋山翔吾選手の応援よろしくお願いします!!」というメッセージとともに、子供たちとの集合写真が掲載されている。

 《ひとり親家庭の親子を球場に招待》秋山は大記録を達成した15年から自身と同じ境遇のひとり親家庭の親子を球場に招待する支援活動をスタートさせ、西武に在籍した昨年まで年間160人を招待した。昨年11月にはプロ野球選手の社会貢献活動を称える「ゴールデンスピリット賞」を受賞。今季からメジャーに移籍したが、社会貢献活動は継続する意向を示している。

 《黄金世代“無名男”大ブレーク激変》巨人・坂本、ヤンキース・田中、ツインズ・前田らと同じ「88年組」だが、記録達成までは「僕の名前が出てくることはないんです」と話すなど地味な存在だった。

 7月に左打者では最長記録となる31試合連続安打。9月13日ロッテ戦でイチローに次ぐ史上2番目のスピード(131試合目)で200安打を達成した。同30日オリックス戦でプロ初となる5安打の固め打ちで、イチローの210安打を超えた。連日10台以上のカメラに囲まれるようになり、取り巻く環境は大きく変わった。

 報道陣が大勢来て、全ての取材に応じることは不可能になった。当時の宮地打撃コーチが連日長時間取材対応し、秋山の状態を解説した。後に「自分が盾になって、少しでも秋山の負担を減らして野球に集中させてあげたかった」と話している。

 ◆秋山 翔吾(あきやま・しょうご)1988年(昭63)4月16日生まれ、神奈川県出身の32歳。横浜創学館、八戸大を経て10年ドラフト3位で西武入り。15年にプロ野球歴代最多を更新する216安打を記録するなどシーズン最多安打4度。17年は首位打者。ベストナイン4度、ゴールデングラブ賞6度受賞。1メートル84、85キロ。右投げ左打ち。

 ◆神田 佑(かんだ・ゆう)広島県出身の36歳。13年から野球担当で、アマチュア野球、西武担当を経て、現在は巨人担当キャップ。

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