掛布が江川から決めた“開幕サイクル本塁打”!白昼の宿命対決に5万人が酔った

[ 2020年4月8日 05:30 ]

開幕よ、来い――猛虎のシーズン初戦を振り返る

1984年4月6日、巨人との開幕戦で、江川から右越え3ランを放つ掛布
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 【1984年4月6日 後楽園 阪神8―8巨人】掛布雅之対江川卓――。金曜日の開幕では珍しい午後1時35分開始の“白昼の激戦”で宿命の対決が5万人の大観衆を魅了した。

 1―4の劣勢で迎えた3回1死一、二塁。掛布は2度目の打席に立った。序盤にして最大のヤマ場。投げる江川もギアが上がった。それまで最速141キロだった直球が2球目に144キロまで上昇。ファウルした5球目のカーブ以外はすべて直球勝負だった。そして、決着の7球目。再び来たカーブを、両膝を柔らかく折るようにバットに乗せ、右翼席へ打ち込んだ。

 「追い込まれたが、ただ、来た球を打つことだけを心がけた。カーブでしたが、いい形のホームランじゃなかった。でも、ことしも巨人に勝つには江川をまず打ち崩すことだ。その意味では満足だ」

 初回は先制後の好機で外角カーブに空振り三振。猛虎4番の誇りにかけて同じようにやられるわけにはいかなかった。借りを返す同点3ラン。後続の勝ち越しも呼び、王貞治新監督のもとで2年ぶり開幕投手を務めた江川を4回6失点降板へ追い込んだ。一時は最大4点差をつけながら最終9回に追いつかれて引き分け。3時間37分、両軍合わせて27安打が出た打撃戦でひときわ光るアーチだった。

 江川とは同じ1955年(昭和30)生まれで、この年のオフにはプロゴルファー・倉本昌弘、横綱・千代の富士らと「30年会」の旗揚げを控えていた仲間同士。伝統球団の投打の顔として、かつての村山実―長嶋茂雄、江夏豊―王貞治のように互いを認め合い、高め合う好敵手だった。江川に対しては79年7月7日の初打席でいきなり本塁打し、この開幕戦が9本目。引退するまでに江川から奪った14本塁打は山本浩二と並んで最多を数えた。

 開幕戦は77年ヤクルト戦で松岡弘から放った球団唯一の「開幕満塁弾」を皮切りに79年広島戦で大野豊から「ソロ」、80年広島戦で池谷公二郎から「2ラン」。そして、江川からの「3ラン」で“開幕サイクル本塁打”を決めた。開幕戦通算4発は、いまも球団最多記録として残る。=敬称略=

 ≪“大当たり”平田 3安打猛打賞&頭部死球も≫3年目の平田勝男が「7番・遊撃」で初めて開幕オーダーに名を連ねた。3回には勝ち越しの右越え適時二塁打を放つなど、いきなり3安打猛打賞の大当たり。8回には2年目でプロ初登板だった斎藤雅樹から頭部死球まで“当たり”、「なぜがボールがよく見える」と上機嫌だった。

 ≪金曜日ながらデーゲームで開催≫金曜日開幕ながら後楽園球場のみデーゲームで開催され、「白昼の打撃戦」になった。同じ日にあったセ・リーグの残り2球場(横浜、広島)、パ・リーグ2球場(大阪、藤井寺)はいずれもナイター。今季が当初予定通り「春分の日」の3月20日に開幕していれば、阪神にとっては84年以来の「金曜日開幕デーゲーム」になるはずだった。

 ▽1984年の世相 江崎グリコ社長が誘拐され、3日後に無事発見「グリコ・森永事件」の発端(3月)、ロサンゼルスオリンピック開幕(7月)、自動車CMからエリマキトカゲがブームに(9月)、オーストラリアからコアラ6頭が初上陸(10月)、新紙幣発行、1万円は聖徳太子から福沢諭吉に(11月) 【流行語】「まる金 まるビ」「くれない族」

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