【内田雅也の追球】阪神の「粋」と「意気」――“本家”猛虎が興じた野球拳

[ 2020年4月8日 08:00 ]

阪神が料亭「播半」で開いた歓迎会でおどける大リーグ・タイガースのアル・ケーライン選手(1962年11月3日)=阪神球団発行『タイガース30年史』=
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 ヤンキースと複数形で書けばチームを表すが、ヤンキーと単数形なら、そのチーム所属の1人の選手を言う。レイズの筒香嘉智はレイだし、ツインズの前田健太はツインだ。

 だから、アル・ケーラインは「ミスター・タイガー」と呼ばれた。日本流に書けば「ミスター・タイガース」である。

 1953年入団からデトロイト・タイガース一筋22年。高校出1年目からマイナーリーグを経験せずに大リーグ・デビューし、2年目に最年少20歳で首位打者となった。1974年限りで引退するまで通算3007安打。オールスター出場15回。強肩の外野手で1957年制定のゴールドグラブ賞を10回受賞している。1980年、有資格1年目で野球殿堂入りを果たした。

 そんな偉大な「ミスター」の訃報を外電が伝えた。6日(日本時間7日)死去。85歳だった。死因は公表されていない。

 ケーラインは1962(昭和37)年秋の日米野球(毎日新聞社主催)で来日している。タイガース単独チームとして全日本や連合チーム、巨人などと18試合行い、12勝4敗2分けだった。

 11月3日には甲子園球場で阪神と「日米タイガース決戦」の予定だったが、朝からの雨で中止となった。すると、阪神はオーナー(電鉄本社社長)・野田誠三が西宮・甲陽園の老舗料亭「播半」に招待した。夫人も含めての歓迎夕食会である。

 阪神側は野田のほか、球団代表・戸沢一隆、監督・藤本定義や選手を代表して吉田義男、小山正明、村山実、マイケル・ソロムコが参加した。

 宴席の模様を伝える写真にケーラインが舞妓(まいこ)とおどける様子がある。ジャンケンをしているようだ。当時のスポニチ記事に「野球拳に興じた」とある。

 「着物がとてもきれいだ」「天ぷらはいくらでも食べられる」と話した。「足が痛い」と言いながら珍しい「タタミ・パーティー」に大満足だった。

 席上、タイガースのオーナー、ジョン・フェッチャーから「来年のキャンプに招きたい」と驚きの提案があった。野田が「アメリカでキャンプをやってみたい」と話すと「儀礼的ではなく、本当に招きたい」と応じた。

 翌1963年2月、阪神は本当にフロリダ州レークランドのキャンプに招待された。タイガースが合言葉にしていた「ハッスル」を阪神が持ち帰り、外来語として定着した。1976年初版の三省堂『コンサイス外来語辞典』には「ハッスル」の説明に<はりきること。機敏かつ精力的に活動すること>とあり、<プロ野球の阪神タイガースが昭和38年の米国遠征キャンプで仕入れてきた語>とある。

 吉田はよく「当時の阪神は粋でした」と懐かしむ。阪神は創設当初から格好良かった。作家・評論家の虫明亜呂無(むしあけ・あろむ)は1936(昭和11)年、初年度のプロ野球を観て、阪神の魅力を知っていた。<阪神はあきらかに洗練されていた。巨人の田舎くささにくらべると、ハイカラで粋で鯔背(いなせ)であった。阪神のほうが都会チームに映った>=『時さえ忘れて』(ちくま文庫)=。

 タイガース来日の1962年は2リーグ制で初優勝を飾った。64年にも優勝し、3年間で2度優勝という黄金期だった。フロントには意気があり、粋だったのである。=敬称略=(編集委員)

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