【内田雅也の追球】被災地を歩いて思う

[ 2020年1月18日 09:19 ]

「1.17ひょうごメモリアルウォーク2020」で被災地を歩く人びと(17日午前10時、神戸市・山手バラ園前)
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 午前5時46分に黙とうをささげ、夜明け前に家を出た。「1・17ひょうごメモリアルウォーク2020」に参加するためだ。1995年の阪神・淡路大震災を思い起こしながら、復興した街並みを巡り、防災意識を高めようと、兵庫県が主催する。被災地や避難路、救援路を歩く。

 初めて参加した昨年は西宮市役所出発、東15キロコースを歩いた。今年は神戸常盤アリーナ出発の西10キロコースにした。

 出発地の神戸・西代には震災当時、仮設住宅が建ち並んだ神戸市民球場があった。昨年12月1日付の『猛虎の地』で書いた1954(昭和29)~56年当時の阪神2軍、阪神ジャガーズが本拠地としていた。球場内に30棟、248戸あった仮設住宅は2000年に取り壊され、跡地には美しい西代蓮池公園になっている。受付、体操の後、8時30分にスタートした。

 左手には育英高校がある。阪神コーチの藤本敦士は当時、同校野球部主将だった。交通網が途絶え、明石の自宅からバスやがれきの上を歩いて3時間半かけて通った。がれきの上を歩いた。学校体育館は避難所で多くの人びとが生活していた。前年秋の近畿大会4強。選出が確実視されていた選抜大会は開催中止も検討されていた。「あの震災があったからこそ、一日一日を大切に生きたいと思った」と聞いたのを思い出した。

 長田を歩く。朝焼けに光る、何十棟と並ぶ高層の復興住宅を見上げた。

 ドラフト1位で阪神入りした安達智次郎の実家があった辺りだ。あの日、安達は鳴尾浜の独身寮「虎風荘」から自転車とタクシーで長田に帰った。道中で倒壊した住宅から何人かを救出した。着けば、叔母や同級生を亡くした。「命の尊さを知った」と話した安達も、もうこの世にいない。2016年1月7日、肝不全で41歳の若さで他界した。

 県庁前を行く。ビルが倒壊していた映像を思い出すが、目の前の山手バラ園には美しい花々が咲いていた。

 途中、休憩所で飲み物をいただいてしばらく休み、路上で甘酒もいただいた。ゴールのHAT神戸・なぎさ公園到着は11時すぎだった。「ひょうご安全の日のつどい」は献奏曲として「G線上のアリア」が流れて始まった。正午に黙とうがあった。

 あれから25年。「歴史の変化は25年単位」という尺度があるそうだ。今は大きな節目なのだろうか。ならば、野球がある幸せをかみしめ、新たな時代を迎えよう。=敬称略=
(編集委員)

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