ヤクルト三輪、ガソリンスタンド勤務で燃料注入 父の言葉と歩んだ12年

[ 2019年12月1日 08:30 ]

決断2019 ユニホームを脱いだ男たち(1)

12年8月16日の広島戦で本塁突入し肋骨を折った三輪
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 時代をまたいで令和元年のシーズンが終了した。東京五輪イヤーとなる来年のプロ野球界は、さらなる盛り上がりが期待される。一方で、今年も多くの選手がユニホームを脱ぐことになった。今オフも現役引退の「決断」に迫る。第1回はヤクルト・三輪正義内野手(35)――。

 少しの寂しさはある。でも、悔いはない。9月に戸田寮で来季の構想外を伝えられた三輪の心はスッキリしていた。「レギュラーにはなれなかったけど(15年に)優勝できたし、12年間もできた。入った時は3年ぐらいでクビになると思っていた。よくやったなという感じ。もう野球をやれなくなるんだなという思いはあったけど」。プロ通算12年で0本塁打。走塁、守備、バントに生きた35歳がユニホームを脱いだ。

 不屈の男だった。12年8月16日の広島戦、本塁クロスプレーで肋骨を骨折。それでも休むことなくシーズンを全うした。同年12月に結婚した妻・英里さん(33)とは当時、同棲していた。式の打ち合わせでくしゃみをしてもん絶し、プランナーに心配される“新郎”。「(休まないことに)ビックリしてました。“大丈夫なの?この人”と思ったでしょうね」。それでも、ネガティブ思考の自分に常に前向きな言葉を掛け、一緒に戦ってくれた。

 異色の経歴を持つ。下関中央工を卒業後、02年に山口産業に入社し、ガソリンスタンドで働きながら軟式野球をプレー。ただ、父・義夫さん(72)からは事あるごとに「硬式はもうやらないのか?」と言われ続けた。「その時は“プロになれるわけがない”と言い返していた。でも、父の言葉が心の中にあったかもしれない」。04年に退社し、翌年から四国IL・香川に入団。NPBへの道が開けた。

 幼少期は庭の木にティー打撃用のネットをくくりつけ、球を投げてくれたタクシー運転手の父。怒られたこともある。「中学生の頃、練習に行きたくないと言ったら“その間に他のやつはうまくなる。悔しくないのか”と。だからやっぱ練習しなきゃなって」。プロ入り後、大みそかも元日も自主トレを休まなかった。父の教えが根底にあったからだ。自身の全てを出し切ったからこそ悔いはない。

 9月22日の巨人戦後に行われた引退セレモニーに、英里夫人と愛娘、義夫さんを招待した。「妻、両親、地元・山口の人たちのおかげでここまでできたと思う」。多くの人の支えで全うできた野球人生。今後も野球界に携わりながら、その野球界に恩返ししていくつもりだ。(黒野 有仁)

 ◆三輪 正義(みわ・まさよし)1984年(昭59)1月23日生まれ、山口県出身の35歳。下関中央工では3年夏の山口大会決勝で宇部商に敗れ甲子園出場ならず。山口産業、四国IL・香川を経て07年大学生・社会人ドラフト6巡目でヤクルトに入団。18年には独立リーグ出身者で初の国内FA権を取得した。通算成績は418試合、打率・236、16打点、23盗塁。1メートル68、70キロ。右投げ左打ち。

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