松山商、奇跡のバックホーム見守った沢田氏「神の声が聞こえた」、伝統のノックが大舞台で結実

[ 2019年11月29日 09:18 ]

駒大野球部後援会 総会&懇親会 甲子園V監督トークショー ( 2019年11月28日 )

<熊本工・松山商>延長10回1死満塁、本多の右翼への飛球を松山商・矢野が好返球し、三塁走者・星子はアウトに(捕手・石丸)
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 駒大野球部後援会の総会&懇親会が28日夜、都内のホテルで開催された。総会が終わると「野球部OBには甲子園で優勝した監督が3人もいるから話してもらおう」と野球部OB会の中畑清会長(スポニチ本紙評論家)の発案で、96年夏の甲子園、熊本工を延長戦の末下した松山商の沢田勝彦監督(62=現北条監督)、今年の選抜大会で平成最後の大会を締めくくった東邦・森田泰弘監督(60)、04、05年の夏の甲子園を制し田中将大(ヤンキース)を育てた駒大苫小牧の香田誉士史(よしふみ)監督(48=現西部ガス監督)の名将OB3人がステージに上がった。

 熊本工との決勝戦で奇跡のバックホームをした松山商・矢野選手の話をしたのが沢田監督。松山商伝統のノックでは内野→外野と回って最後までノーエラーなら終わるというもの。右翼手の矢野選手は、いつも最後にノックを受け全選手が「エラーせんでくれ」と祈りながら見守っていたという。

 「そこで矢野はいつも捕手に大暴投なんです。だからノックが終わらない。同級生が矢野の前に土下座して“頼むから(野球部を)辞めてくれ。お前がいなかったらノックが早く終わるんや”と頼んだことがあった。返球はワンバウンドかカットマンに返すのが基本。ただサヨナラの場面だけはノーバウンドでいいぞと言っていた。あの返球のとき、私は言ったことを忘れていたが矢野はノーバウンドでいいんだと思って投げたんです」それが奇跡のバックホームにつながったという。

 実は延長10回1死満塁のピンチで右翼に回った先発の新田を矢野に交代させるのは勇気が必要だった。もし延長が続くようなら救援の渡部だけでは心細い。だが「迎える打者は当たっている3番の左打者。神の声が聞こえた」と沢田監督は交代を決断した。一番ノックを受けた矢野選手が起こした奇跡。地道な努力が大舞台で実った瞬間だった。

 沢田監督も香田監督同様、松山に戻ったのには訳があった。東京の信用金庫に就職が内定。「好きな軟式野球をやって週末は休めて都会の生活が待っている」とウキウキしていた。ところが当時の松山商の野球部長から「戻って来い」との電話が入った。部長からの指令は絶対だから、太田監督に報告すると「よかった、よかった」と喜んでくれたが、沢田監督の内心は「俺の都会の生活はどうしてくれるんだ」と思っていたという。松山商では“鬼の沢田”といわれた男の本音がポロリと出てまた会場から笑いが起こった。

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