脳腫瘍からの復活を目指していた…阪神 横田が引退「後悔はありません」

[ 2019年9月23日 05:30 ]

目頭を押さえる横田(撮影・坂田 高浩)
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 脳腫瘍からの復活を目指していた阪神・横田慎太郎外野手(24)が22日、西宮市内の球団事務所で引退会見を開いた。2度の手術を経た視力低下を決断の大きな理由に挙げ、闘病を終えた17年9月から実戦復帰を目指した約2年間には知られざる苦闘があった。悔いなしと振り返った6年間のプロ野球人生。全力プレーを信条とする男らしい引き際だった。

 表情に未練や後悔は見当たらなかった。124番のユニホームの下には24番のアンダーシャツを着用。横田は真っすぐ前を向いて言葉をつないだ。

 「自分で決めた決断なので、全く後悔はありません」
 引退を決めたのは数日前で、理由に挙げたのは厳しい後遺症だった。「やっぱり一番に目の方が大きい。自分で打った打球も全く見えず、ピッチャーに投げてもらった球も二重に見えたり、守備の際にもボールが二重で飛んで来たり。来シーズンこれを続けても、ちょっと厳しいかなと思い決断した」

 光を失った状態で苦闘は始まった。頭に2度メスを入れ、2度目は約18時間に及ぶ大手術。ベッドで目覚めた瞬間、絶望が待っていた。「最初は目の前が真っ暗で何も見えなかった。もう野球は無理だと思った。少しずつ回復しましたけど、テレビもずっと二重に見えていた」。あまりにも酷な状態で復帰への道を歩んできた。

 大好きなグラウンドでバットを振り、白球を追いかければ気持ちは晴れたが、孤独で辛い時間の方が一日の大半を占めた。夜中、目が覚めることが当たり前になったのは何も最近の話ではない。

 「何で目が見えないんだろうって朝までずっと悩んで考えて…。気づいたら枕が汗でびちゃびちゃになって。これが来年も続くと思うと、きつかった。このままだと、別の病気になりそうで…。またいろんな人に迷惑をかける」。心が体に限界だと告げていた。

 それでも、野球人生の“影”だとは思っていない。「(16年の)開幕スタメンもそうですけど、悔いなく、自分の中でもがいて、苦しんで、いろんなことを思って野球できたこの2年半はいい思い出」。短く太い6年間を振り返る表情は力強い。「試合にも出ていないのにもかかわらずたくさんの方々が僕を応援してくれて。すごい大きかった」と支えになった声援への感謝も忘れなかった。
 「小さい頃から野球しかしてこず、最後、こうやって病気になってユニホームは脱ぎますが、プロ野球という舞台で野球ができて、しかも、阪神タイガースという素晴らしい球団で野球をやらせてもらって本当に感謝の言葉しかない」。立ち止まることなく駆け抜けた旅に忘れ物はない。
(遠藤 礼)

 ◆横田 慎太郎(よこた・しんたろう)1995年(平7)6月9日生まれ、鹿児島県出身の24歳。鹿児島実から13年のドラフト2位で阪神入団。3年目の16年に1軍デビュー。翌17年2月に脳腫瘍が判明。入院、治療を経て8月下旬に寛解。同年オフに育成選手となる。1軍戦出場は16年のみで38試合、打率・190、4打点、4盗塁。1メートル87、94キロ。左投げ左打ち。

 ▼阪神・横田の歩み
 ★13年10月24日 ドラフト2位指名で鹿児島実から阪神入り。
 ★12月9日 新人入団会見。同年引退の桧山の背番号「24」を引き継ぎ「自分で(色を)変えていきたい」と決意。
 ★16年3月25日 中日戦(京セラドーム)3年目で待望のデビュー。「2番・中堅」で4打数無安打。シーズン38試合で打率・190、4打点、4盗塁。
 ★17年2月11日 沖縄・宜野座キャンプ中に頭痛の症状が治まらず緊急帰阪。検査で「脳腫瘍」の診断も、非公表で入院、治療に専念。
 ★9月3日 脳腫瘍と、症状が消え安定した状態になる「寛解」(8月下旬)を公表。「甲子園で走り回る姿を見せたい」
 ★11月16日 回復専念のため、育成選手契約に変更。背番号24は空き番号。
 ★18年4月27日 ウエスタン広島戦(甲子園)試合前、寛解後初のシートノックに参加。
 ★11月15日 育成選手で再契約。「1日でも早く24番を取り返す」

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