ソフトBの159キロ右腕・甲斐野の原点とは?高校、大学の恩師たちが大分析

[ 2019年4月16日 08:30 ]

ソフトバンク・甲斐野
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 防御率0・00のルーキーは5年前まで内野手だった。ソフトバンクのドラフト1位・甲斐野央(22)がセットアッパーとして実力を発揮している。開幕戦で12球団のルーキーで一番乗りとなる白星を飾るなど、ここまで7試合に登板し、1勝6ホールドをマーク。3年連続日本一を目指し、首位を走るチームを支える159キロ右腕の原点や人柄を、高校、大学時代の恩師らの証言から迫ってみた。

 【東洋大姫路・藤田監督 制球難克服にノックの雨2時間】東洋大姫路で甲子園を目指した3年夏は、兵庫大会5回戦で敗退。当時の甲斐野は、投手を兼任する背番号5の三塁手だった。高校時代の恩師・藤田明彦監督は「中学時代は投手と内野の両方をやっていたと聞いた。ただ、同学年に複数投手がいたから1年秋までは三塁手に専念させていた」と振り返る。

 ところが、成長期の体は一冬越えると10センチ以上も伸びて1メートル84となった。「三塁線の打球を捕って一塁へ投げる送球が凄い。私は東芝府中の監督もやりましたが、あんな球を見たことがない。初芝(元ロッテ)よりもね」。野手として鍛える過程で、投手の才能にも気づいた。

 東洋大姫路での教え子には、11年夏の甲子園で8強進出したヤクルト・原樹理がいる。甲斐野は入れ替わりで入学し、2年からは投手も兼任させた。「球速は134、135キロだけど、70球に1球は原を超える球を投げていた」と大化けする直感が働いた。「将来はプロへいけるかもと、あえて厳しくした。ただ、コントロールが悪くて四球ばかり」。ノックで鍛えた。三塁手として1時間、投手としても1時間。計2時間もノックの雨を降らせた。

 厳しい練習にも甲斐野は弱音を吐かなかったという。「得意分野だからね。澄まし顔でした」。160キロに迫る剛球に注目が集まるが、抜群のフィールディングを誇る。内野手として鍛えられたことが要因だ。甲斐野の弱点も暴露した。「本当は走ることが嫌い。インタビューで“走っています”なんて言っていたけど、“ウソ、コケ!”ですよ」と笑っていた。(伊藤 幸男)

 【東洋大・杉本監督 直球とフォークで必殺方程式構築】大学ラストイヤーの一年間を指導した東洋大・杉本泰彦監督が、甲斐野のストッパー適性を見いだした。それまでは先発やロングリリーフを中心にこなしていた。

 3年秋は東都リーグで5勝を挙げてベストナイン、最優秀投手だが、「僕が敵ならどこで投げられるのが一番嫌か。球種は少ないし、先発だったら怖くない。5回まで球数を投げさせて、3巡目勝負ってね」と説明する。同級生には上茶谷(DeNA)、梅津(中日)もいた。当時の球速は153キロ。「打者が振らなきゃいけない状況をつくりたかった。直球に絞らせフォークを振らせる」と必殺パターンが構築された。

 マイペースな性格もリリーフ向きだという。開幕2日前、ソフトバンクのファームは社会人野球の西部ガスとオープン戦を行った。試合後、甲斐野は相手チームのバスに乗り込んで、初対面の香田誉士史監督(元駒大苫小牧監督)、ナインらに「甲斐野です」とあいさつした。杉本監督は「普通ならテンパっているはずなのに…。天然だから自然と行動に出る」と大物感が漂うエピソードも明かした。

 【東洋大・高橋前監督 自己流筋トレ禁止で下半身強化】大学3年までの甲斐野を見てきた東洋大の高橋昭雄前監督は「肩が強いから」という理由で、入部当初から「投手一本」で起用するつもりだった。

 「関節が柔らかい。腕の畳みが2段階できるから、スピードが出やすい面もあったんじゃないかな。短距離も得意でバネがあった」と説明する。一方でパワーをつけるために、ウエートトレーニングをさせることはなかった。

 「うちは原則3年生まで自己流の筋力トレはさせない。筋肉だけついてバランスを崩したら元も子もない。ただ、スクワット系の体操はしていた」と器具を使うことなく剛腕を育てていった。

 【工藤監督 ボールに力を伝える能力が高い】ソフトバンク・工藤監督は甲斐野の長所について「筋力がそこまであるわけではないけど、ボールに力を伝える能力が高い」と説明した。セットアッパーとしてフル回転する右腕に、倉野投手コーチは「雰囲気とか、様になってきた。プレッシャーもかかって大変だとは思うけど、怖いもの知らずでいってほしい」と期待を寄せた。

 ≪甲斐野自身が分析 球速UPにつながった意識改革≫甲斐野自身は三塁手としてプレーしながら投手も兼任していた高校時代を振り返り、「2年生くらいから投げていたけど、自分には投手は無理だと思っていたので」と明かした。

 球速アップは「意識改革」によってもたらされた。東洋大に進学し「ウオーミングアップやトレーニングで、体のどこを使っているとか、何のために鍛えているのかを考えながらやるようになった」と話す。成果が顕著に表れたのが走力だ。50メートルは6秒8から6秒2になり「足が速くなって、球速も上がった」。リーグ戦ではストッパーとして短いイニングを全力で投げる機会が増え、最速は159キロまで上がった。

 ここまで7試合に登板し1勝0敗、防御率0.00。プロ1年目から順調なスタートを切った甲斐野は「投げさせてもらえるところで抑えるだけ」と目の前の打者に集中している。

 ≪同級生の上茶谷が明かす「負けず嫌い」≫DeNA・上茶谷は、同級生・甲斐野の性格について「大学時代から負けず嫌いでした」と証言する。4年の引退後は寮で同部屋。ゲームをやると「甲斐野が負けたら勝つまでやる。でも僕も負けず嫌いなので終わらなくて…」と笑った。いつも梅津と球速を競い合っていたことも思い出す。梅津が自己最速を更新するたびに甲斐野も数字を伸ばしていた。「僕のことは眼中になかったみたいですけど。球速とともに足が速くなり、最後は短距離走が投手陣で断トツでした」と、剛速球を生み出す甲斐野のバネを絶賛した。

 ▼中日・梅津 末っ子タイプで甘え上手。いたずら好きでよく、いろんな人にちょっかいをかけていた。上茶谷と2人で練習中とかに自分たちで作り上げた替え歌をしょっちゅう歌っていましたね。

 ◆甲斐野 央(かいの・ひろし)1996年(平8)11月16日生まれ、兵庫県西脇市出身の22歳。1メートル87、86キロ。右投げ左打ち。桜丘小3年時に「黒田庄少年野球団」で野球を始め、黒田庄中では軟式野球部に所属。東洋大姫路では主に三塁手として1年秋からベンチ入りも、甲子園出場なし。東洋大で投手に専念し、3年秋にリーグ戦初勝利。最優秀投手とベストナインにも輝いた。4年春は抑えとしてリーグV。同年夏に日米大学野球、ハーレム国際野球大会を経験。西武のドラフト1位・松本航がライバル。同じ兵庫県出身で、中学3年時に県選抜チームでともにプレー。当時は松本航の実力に圧倒され、投手を断念したこともあった。昨年8月28日のU18アジア選手権壮行試合(神宮)では、大学日本代表として、大阪桐蔭・根尾、藤原と対戦。9回に登板し、藤原は二ゴロ。続く根尾は空振り三振に斬った。

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