【北神奈川】大記録にも動じず 桐光学園・松井裕樹、圧巻の22奪三振

[ 2018年6月27日 08:00 ]

第94回大会1回戦   桐光学園7―0今治西 ( 2012年8月9日    甲子園 )

<桐光学園・今治西>桐光学園・松井は22奪三振の大会新記録を達成する
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 【スポニチ社員が選ぶわが故郷のベストゲーム】この夏、全国高校野球選手権大会は100回目。ふるさとチームの甲子園での活躍に熱くなった記憶を、北北海道から沖縄まで、今夏の代表校数と同じ56人のスポニチ社員がつづります。

 「2桁くらいは取るかもしれない」という見立てだった。

 アマ野球担当1年目の夏。桐光学園の2年生エース・松井裕樹は、神奈川大会で6試合46回1/3を投げ、68三振を奪った。「縦スラ」の軌道が独特で、バットは面白いように空を切った。甲子園でも調子が良ければ三振は1試合10個くらいは取るだろうなと思ったが、甘かった。

 今治西戦はスコアブックに同じような記号ばかりが並んだ。見逃し三振は「K」、空振り三振は「S・O(スイングアウト)」を書いていたが、27アウト中、22個も三振を取るなんて…。

 今治西ナインは「スライダーは捨てろ」という指示があったにも関わらず、「真っすぐに見える」から、振ってしまう。だが、大記録が生まれても松井はケロッとしていた。「記録をつくってしまったので、恥じないように」と言った。

 自分を含め、恐らくこの試合で松井が甲子園でホームランを打ったことは、記憶に薄いはずだ。2―0からの3ラン。普通の試合展開なら値千金の一発だったが、試合後の取材では「スライダー」と「三振」の話題ばかりだった。

 松井は最高学年となった翌年、甲子園には出られなかった。それでも当然、ドラフトの超目玉。競合の末に楽天が交渉権を獲得した翌日、後輩記者と桐光学園を訪ねた。アポを取っていなかったが、野呂雅之監督が取材に応じてくれた。「ねえ、凄かったね」。監督は、人ごとのようにあの甲子園を回想した。日本中に注目される投手を送り出しても、かわいい教え子の一人、というスタンスに、何だかホッとしたことを思い出す。

 松井はチームを勢いづかせるため、3アウト目の三振にはこだわっていた。闘牛を扱うように、ベンチまで全速力でダッシュする左腕を、野呂監督が受け止めるシーンは、甲子園の記者席から見た、いい景色だった。

 プロでは救援投手として実績を積んでいる松井だが、3アウト目の三振を狙う先発投手としての投球を、また見たいと思っている。

 ◆川島 毅洋(西部総局)神奈川県出身の40歳。座間高校では96年夏に神奈川大会4回戦敗退(大敗)。12年春から10季連続で甲子園取材。

 <神奈川データ>

夏の出場 78回(通算123勝71敗)

最高成績 優勝7回(湘南=1949年、法政二=60年、東海大相模=70、2015年、桐蔭学園=71年、横浜=80、98年)

最多出場 横浜(17)

最多勝利 横浜(33)

出場経験 19校、うち未勝利2校

 ※データは北神奈川、南神奈川を合算

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